。それは入門する際の素質ということよりも、家柄格式ということが第一条件におかれているからで、女史の説によると、折角の素質の芽が途中で萎えてしまうのは、それを育てる土が貧しいという場合が多い。音楽は他の芸術と違って、この土が豊かでありたいということを一つの条件としたいし、それゆえにまた、この芽が健やかに肥えふとっていくとも言われる。
 家柄格式というのも、つまりは産をさしての言葉であるし、弟子たちは、それを尤もな事として聞いた。そして、女史の弟子達は、どれも資産家の子女としてきこえていた。
 弟子を二十人あまりかかえているうえに、学校の講師をも兼ね、尚そのうえに若艸会では春秋の二季に音楽会を催すことが例となっているから、奥住女史の生活はずいぶんと多忙であった。
 この物語のずっと後に、わたくしは知人の娘にせがまれて、若艸会春季音楽会の切符を買わされた。音楽会のたびに、弟子達は、切符を一人宛二三十枚分も受もたされるということであった。わたくしは遅れて会場に入った。最後のコーラスがもう半ばをすぎて、派手やかに着飾った令嬢たちが舞台におし並び、楽器店や弟子たちの父兄達から奥住女史に贈られた花籠や花束がぎっしりと置き並べられて、折角のコーラスも、この色彩雑多な絢爛さに眩んでいるようであった。
 会が果てて、ざわつき帰る人びとに押されて、わたくしも廊下まで出ると、楽屋入口のところで知人の娘に声をかけられた。傍に立って誰れかれへ挨拶をしている笑窪のよった愛想のいい洋装の婦人は、写真で見かけたことのある奥住女史に相違なかった。知人の娘は、わたくしの手を引っ張って、奥住女史に紹介した。
「御一緒にお茶でも如何でしょうか」
 と、女史は、いかにも魅力に富んだにこやかな面をわたくしのほうへさしのべるようにして誘いかけた。
「あたくしたち、いま、銀座へくり出そうというところですのよ」
 知人の娘はわたくしの手にしがみついて離さない。促がされるまま女史たちと行を共にした。弟子たちは、知人の娘をいれて四人であった。
「このひとたち、みんな、あたくしの可愛いヒヨッコですのよ」
 車の中でも女史は弟子たちと巫山戯あった。両手を拡げて翼の中に抱え入れる仕草をすると、令嬢たちはキャッキャッと笑いこけた。
 弟子たちの間でも、また、学校の生徒たちの間でも、奥住女史は慕われ騒がれているということを、わたく
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