、高麗加世溢《こまのかせい》、漢奴加己利《あやのぬかこり》を、尚|椋部秦久麻《くらべのはたのくま》をその令者として諸采女たちに繍を命じ給うた。このことは、ずっと以前、知人宅で手にしたことのある天保十二年版の観古雑帖にもみえていたような記憶がある。ここに繍をなした采女たちとは、後宮に近習し上の寵を蒙った婦人たちをさしているのであろう。その下絵をかいた絵師はいずれも一世の逸材として伝わっているけれども、直接の工作者である采女たちは、その名すら遺っておらぬときく。
 わたくしは尚二三書物を繙いてみたが、どこにも采女たちの名は見出されなかった。
 先生は染織文様のみちに明くいられるので現存の繍帳断裂の生地や繍糸についての考察にはとりわけ詳しいお話があった。断裂の生地は仔細にこれをしらべると凡そ綾織、絹縮《しじら》ふうの羅、平織、文羅などであって、このうち紫綾、絹縮ふうの羅の部分が最も多く、色めは濃淡多少の差はあるけれども紫地が大部をしめている。この絹縮ふうの羅について、先生は種々の方面から考証されていられたが、当時これが台ぎれに使用されたというよりは後世になって大破を修補したおり用いた生地だとみていられる。飛鳥天平のころには、このような生地の類例がなく、これが現存する断裂の大部をしめているとみるとき、飛鳥時代本来の分は余程縮少される。繍法は平ざし、まといつきざし、まといざし、からみ繍などで、色糸のとりあわせは巧妙をきわめ、紫の地に黄、紅、臙脂、紫、藍、緑を主調とする繍が施されて、その彩色の華麗は例えようもない。繍帳下部のほうに、法隆寺金堂や玉虫厨子を思わせる様式の鐘楼があって、この中に緑の衣に紅い袈裟をつけた僧侶がいる。両の手に撞木をもって、いまにも鐘をつかんとする姿態を繍した僅か三寸にみたぬ図ではあるけれども、凝っと眸をさだめると、この僧侶の生動しているさまが見える。――先生のこの言葉からわたくしは、さながらその場にある心地して、微妙に生動している僧侶の姿が目まえにありありと見えるようであった。わたくしの心はまた先生の眼を藉りて、いまは繍糸も落ちて黄褐変した台ぎれのみえているところや、下絵の墨絵の線がまざまざとみえているあたりの断裂を前にして、過ぎ来し方を偲び今さらのように飛鳥芸術の豪華をながめる。ふと、この繍帳の中から読経の声がつぶつぶときこえて、ただ、ひたむきに繍の針
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