々法律上処罰せらるゝものなり。独り我が同胞は既に瓦斯燈を設け、人道車道を区別し、新式の家屋を建設すと雖、今に至るまで依然として蒙昧粗笨《まうまいそほん》の域を脱せざるなり。グリボエドツフの曰く。吾人の家屋は新なりと雖、吾人の成心《せいしん》は古しと。吾人はこの語の猶事実に合せざるを遺憾とす。なんとなれば吾人の家屋はその梯《はしご》を新にしたるのみにて実は古きなり。本紙は既に屡々注意を与へたるに拘はらず、ペエテルブルク町の商家ルキアノツフ氏の住宅には、庖厨より居室に通ずる階段の既に久しく腐朽せるものあり。右の階段は今|終《つひ》に陥落したり。而して同家に使役せらるゝ兵卒の妻アフイミア・スカピダロワは彼の階段を上下《じやうか》する毎に非常なる危険を冒せり。殊に水若くは薪を運搬する時を然りとす。昨夕《さくせき》八時三十分アフイミアは汁を盛れる瓶《へい》を持ちて彼の階段を通過する際、終に倒れて下肢《かし》骨折をなせり。吾人は不幸にして未だルキアノツフ氏の該階段を修繕せしむるに意ありや否やを詳《つまびらか》にせず。由来我国人の悟性は遅鈍なり。吾人は只この遅鈍の犠牲たる憫《あは》れむべき女子の既に病院に送られたる事を報道し得るのみ。因《ちなみ》に謂《い》ふヰルブルク町の木造人道の塵芥を掃除する奉公人は何故に往来人の靴を汚染する事を省みざるや。外国の例の如く塵芥は一所に堆積する如く掃き寄するに何の困難もなきにあらずや。」
 己は呆《あきれ》てプロホルの顔を見て云つた。「これは何の事でせう。」
「なにが。」
「どうも※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]に呑まれたイワンに同情せずに、却て呑んだ※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]に同情してゐるぢやありませんか。」
「それが不思議ですか。動物にまで同情するのです。理性のない動物にまで同情するのです。これでは西欧諸国にも負けてゐませんね。あつちもそんな風ですから。へゝゝゝ。」変物《かはりもの》の老人はかう云つた切り、取り扱つてゐる書類の方に目を向けて、跡は無言でゐた。
 己は二枚の新聞をポツケツトに捻ぢ込んで序にペエテルブルク新報やヲロスの外の日のをも集めて持つて、この日にはいつもより早く役所を出た。まだ約束の時刻までには、大ぶ時間があるが、己は急いで新道に往つて、せめて遠方からなり
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