ない事なら、どうぞわたくし一人にそれを受けさせて下さい。」
 祈祷してしまつてドルフは寺を出た。そして心のうちに思つた。「もうこれで世の中に、あのリイケの生んだ子を己の子でないと云ふことの出来るものは、一人もなくなつた。」
 河岸の方から「おい、ドルフ」と呼ぶ声がした。見ればジヤツクを救ひに河に這入つたのを見てゐた仲間達である。皆気の荒い男ではあるが、ドルフが水に潜つた時は、胸が女の胸のやうに跳つた。そしてドルフが無事で陸《おか》に上がつた時、身のめぐりを囲んで、「どうも己達皆を一つにしても、お主《ぬし》一人程の値打はないなあ」と叫んだのである。仲間達は今ドルフに進み近づいて握手して云つた。「おい、ドルフ。まあ、己達はこの儘死んでしまつた所で、度胸のある男を一人は見て死ぬと云ふものだなあ。」
 ドルフは笑つた。「いや。己は又こなひだの晩に生れたリイケの赤ん坊の健康を祝して、お主達と一杯飲まずには、どうしても死ぬることが出来ないのだ。」

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頃日《このごろ》亡くなつたベルジツク文壇の耆宿《きしゆく》カミイユ・ルモンニエエの小説を訳したのは、これが始ではあるまいか。或
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