フに薄《せま》つた。「ドルフ。お主がはいらんと云へば、死ぬるまでだ、己がもう一遍はいる。」
川へ松明を向けてゐる人達が叫んだ。「や。又あそこに浮いた。手足が見えた。早くしなくちや。」
ドルフはいきなり上着をかなぐり棄てた。「好し。己がはいる。その代り誰か一人急いでプツゼル婆あさんの所へ往つて、グルデンフイツシユの桟橋迄あれを案内してくれ。」それから空中に十字を切つて、歯の間で唱へた。「人間のために十字架に死なれた主よ。どうぞ憐をお垂下さい。」
ドルフは裸で岸に向つて駆け出した。群集《ぐんじゆ》はあぶなさに息を屏《つ》めてゐる。ドルフは瞳を定めて河を見卸した。松明が血を滴らせてゐる陰険な急流である。其時ドルフは「死」と目を見合せたやうな気がした。渦巻き泡立つてゐる水は、譬へば大きな鮫が尾で鞭打つてゐるやうである。
「それ又浮いた」と人々が叫んだ。
「リイケ。勘辨してくれ。」どん底がさつと裂けた。流は牢獄の扉のやうに、ドルフの背の上に鎖された。
群集の中から三人の男が影のやうに舟にすべり込んで纜《ともづな》を解いた。徐《しづ》かに※[#「左は舟、右は虜」、第4水準2−85−82、1
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