ことは出来まい。厳重な意味で言へば、そんなことはなんでもありません。併し敵を討つのは愉快ですな。冷かしはおしまひです。お分かりですか。わたくしの物でない永遠といふ奴は。」
「無論だ。分かる」と、少し立つてから学士は云つた。そして一息に歌をうたひ出した。
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「冢穴《つかあな》の入口にて
若き命を遊ばしめよ。
さて冷淡なる自然に
自ら永遠なる美を感ぜしめよ。」
[#ここで字下げ終わり]
患者は忽然立ち留まつて、黙つて、ぼんやりした目附をして、聞いてゐて、さて大声で笑ひ出した。「ひひひひひひ。」鶉の啼声のやうである。「そんなものがあるものですか。あるものですか。永遠なる美なんといふのは無意味です。お聞きなさい。先生。わたくしは土木が商売です。併し道楽に永い間天文を遣りました。生涯掛かつて準備をした為事《しごと》をせずに、外の為事をするのが、当世流行です。そこで体が曲つて、頭が馬鹿になる程勉強してゐるうちに、偶然ふいと誤算を発見したですな。わたくしは太陽の斑点を研究しました。今までの奴が遣らない程綿密に研究しました。そのうちにふいと。」
この時日が向ひの家の背後《うしろ》に隠れて、室内が急に暗くなつた。そこにある品物がなんでも重くろしく、床板にへばり附いてゐるやうに見えた。患者の容貌が今までより巌畳に、粗暴に見えた。
「それ、御承知の理論があるでせう。太陽の斑点が殖えて行つて、四億年の後に太陽が消えてしまふといふのでせう。あの計算に誤算のあるのを発見したのですね。四億年だなんて。先生、あなたは四億年といふ年数を想像することが出来ますか。」
「出来ない」といつて、学士は立ち上がつた。
「わたくしにも出来ませんや」といつて、患者は笑つた。「誰だつてそんなものは想像することが出来やあしません。四億年といふのは永遠です。それよりは単に永遠といつた方が好いのです。その方が概括的で、はつきりするのです。四億年だといふ以上は、万物は永遠です。冷淡なる自然と、永遠なる美ですな。四億年なんて滑稽極まつてゐます。ところで、わたくしがそれが四億年でないといふことを発見したですな。」
「なぜ四億年でないといふのだ」と、学士は殆ど叫ぶやうに云つた。
「学者先生達が太陽の冷却して行く時間を計算したのですな。その式は単純なものです。ところで、金属にしろ、その他の物体にしろ、冷却
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