に迫るやうな、前兆らしい心持が心の底に萌《きざ》して来た。併し強ひて答へた。「さうにも限らないでせう。死んだ後に、未来に性命がないといふことを、君は知つてゐるのですか。」
 ゴロロボフは首を掉つた。「それは知りません。併しそれはどうでも宜しいのです。」
「なぜどうでも好いのですか。」
「死んでから性命がない以上は、わたくしの霊は消滅するでせう。又よしやそれがあるとしても、わたくしの霊は矢張消滅するでせう。」二度目には「わたくし」といふ詞に力を入れて云つた。「わたくし自己は消滅します。霊といふものが天国へ行くにしても、地獄へ堕ちるにしても、別な物の体に舎《やど》るにしても、わたくしは亡くなります。この罪悪、習慣、可笑しい性質、美しい性質、懐疑、悟性、愚蒙、経験、無知の主人たる歩兵見習士官ゴロロボフの自我は亡くなります。何が残つてゐるにしても、兎に角ゴロロボフは消滅します。」
 ソロドフニコフは聞いてゐて胸が悪くなつた。両脚が顫える。頭が痛む。なんだか抑圧せられるやうな、腹の立つやうな、重くろしい、恐ろしい気がする。
「どうとも勝手にしやがるが好い。気違ひだ。こゝにゐると、しまひにはこつち
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