いつは変だからな。」
 ヲロヂカが又かういふのです。「どうも気が変になつてゐるやうだ。色々な独話《ひとりごと》を言つて、首を振つたり、合点合点をしたりしてゐる。指図もなにもしてくれない。もうさつきから小休《こやす》みをしても好い頃になつてゐるのに、あいつはずん/\歩いてゐる。どうも変だぜ。」
 わたくしもそんな気がしました。そこでブランの側へ行つて、「どうだね、あんまり急ぎ過ぎるぢやないか、少し休んだらどうだらう」と云ひました。
 さうすると、ブランは一寸立ち止まつて、わたくし共の顔を暫く見てゐて、又歩き出すのです。そしてかういふぢやありませんか。「待て待て。そんなに急いで休む事はない。どうせワルキかポギバに行けば、お前達はみんな弾を食ふのだ。さうすれば、いつまでも休まれる。」
 わたくし共は、呆れてしまひました。それでも喧嘩をしようとは思ひませんでした。それに最初の日には休まずに少し余計に歩いた方が好いのだといふ事も考へたのです。
 又少し歩くと、ヲロヂカがわたくしをこづいて、「どうも間違つてゐるね」と云ひました。
「なぜ。」
「ワルキまでは二十ヱルストだといふ事を聞いてゐた。もうたしかに十八ヱルストは歩いてゐる。うつかりしてゐると警戒線に打《ぶ》つ付かるぞ。」
 そこでわたくし共は爺いさんに声を掛けました。「おい。ブラン。」
「なんだい。」
「もう追つ付けワルキに来るだらう。」
「まだまだ。」
 かう云つて爺いさんは、ずん/\歩くのです。実はこの時今少しで、大変な目に逢ふところでした。為合《しあは》せな事には、わたくし共がふいと崖の所にボオトが一艘繋いであるのに気が付きました。そこで皆言ひ合せたやうに足を駐めたのです。
 マカロフが行きなりブランを掴まへて引き戻しました。
 どうも船があるからには、近所に人間がゐなくてはならないと思つたものですから、みんなで言ひ合せて、こつそり横道へ這入つて、森の中へ隠れました。これまで歩いて来た所は、河の縁で、河の両方の岸は茂つた森になつてゐるのです。
 一体樺太といふ所は、春の間いつも霧が立つてゐる所です。その日にも一面の霧が掛かつてゐました。
 丁度わたくし共が森の中の山道を登つて行つて、絶頂に近い所まで行つた時、風が出て谷の霧を海の方へ吹き払つたのです。その時警戒線の全体が、手の平へ乗せて見るやうに、目の前に見えたぢやあ
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