の考では、結婚の話をし掛けて、話が破れてしまったものは、それからどんな風にして交際をして好いか分らないんですからね。しかしわたしの考では、そんな風に、因襲がどうにも極《き》めていない場合が、却《かえっ》て面白い関係になるかも知れないでしょうと思いますの。そうではないでしょうか。
画家。こりゃあ面白い。ふん。因襲の外《ほか》に立った関係は面白い。僕なんぞも、そういう関係を求めているようなものです。
姉。人生というものが、そうしたものではないでしょうか。
画家。ふん。
姉。一体人間の真実の交際はみんな因襲の外《ほか》の関係ではないでしょうか。
画家。姉さんは実に面白い人ですね。
姉。笑談《じょうだん》は置いて、わたしがこうやってここへ来るのなんぞも、同じ道理かも知れないでしょう。
画家。姉さんが僕の処へ来るのですか。そんなら僕が弟でなくっても、姉さんはこの画室に来るでしょうか。
姉。そうね。きょうだいでないとして見ると、何んという資格で来たら好いでしょう。
画家。ただ貴夫人として、知合として、友達として。
姉。友達ですか。
画家。ええ。友達になって来て下さるか、どうだか怪しいものですね。
姉。(笑いつつ。)お前の処へなら来るでしょうよ。
画家。(やはり笑いつつ。)まあ、来て下さるものだと思って置きましょうよ。(間。真面目に。)本当に姉さんが来て下さると好いのだが。
姉。(解《かい》せざる様子。)ええ。
画家。実は僕は寂しくって為様がないのです。こないだから姉さんの処へ越して行こうかとも思って見ました。たしか客間が一つ明いていたでしょう。それともここで寂しいと思うのは、あんまり家が広過ぎるせいかも知れません。兎《と》に角《かく》姉さんとおっ母さんと僕と一しょに住《すま》って見るという事が、出来ない事もあるまいと思うのです。晩にでもなれば誰《たれ》か本でも読んで、みんなでそれを聞いたって好いでしょう。燈《あかり》を点《つ》けて本を読むのが目に悪けりゃあ、話をしていたって好いわけです。誰かが纏《まとま》った話をして、みんなで聴いても好いでしょう。事によったら黙っていたって一人で黙っているよりは好かろうじゃありませんか。実際僕は折々そんな風にみんなと一しょになっているような心持になるのですよ。(疑念を挟《さしはさ》むらしき姉の目付を見て言い淀む。)ふん。
姉。お前がそんな風に一
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