が、アの部を牽くと、アイ藍が真先に出る!
 そして誰もこれに驚かない。
             ○
 翻刻智環啓蒙の面白さは、そのように機械化した文字が、まだ貴重な一つの解読と云う技能を要した時代を反映していて、微笑されるのである。明治三年頃印刷されたもので香港の宣教師でも作ったのであろう。“A circle of knowledge, in 200 lessons”と云うのを、漢文訳つきで編輯したものだ。題目を見ると、一層面白い。
 上半頁に Lesson 1. Object, と! 石・本・樹木其他は“are all objects. All things that we can see are objects. The chair, the hat, the book etc., were made by man. The store, the tree etc., were not made by man, but were created by God, and are called created things. The things which are made by man are not created things.”
とあり、下半頁に、
 第一篇。小引。
   第一課、眼所能見之物論
と、実に面倒な漢文で訳がついている。
 第二は、可なり朦朧とした Creature と Beings の説明で、第三から人体、衣食住に関する常識以下、博物、地文、産業、経済、物理、生理にまできっちり七行ずつ、触れている。そして最後は上帝への礼拝で終っている。
 ほんの七行、今の小学生のよむ英語読本の「蝶々はとびます」風の文句に、仰々しく一々何々論何々論、と四角い字を並べ、肩を張って読んだ人々の心持を考えると、漫《そぞろ》に洋学が公然日本に入りかけた時代の、白熱した一般の読書慾、知識慾を思いやられる。
 彼等は、書いてあることが下らなかろうが、支那人向きであろうが一向頓着せず、横文字の読めると云う嬉しさ珍しさに我を忘れて、この小冊子も読み耽っただろう。丁度、私共が十二三の頃、面白くもなければ、本当の意味もわからない西鶴や方丈記を、其等が「大人の本」であると云う丈の理由で、さも博大な知識を獲得しつつあるような満足と動悸とを以て読み、筆写さえした通りに。
 この本の印刷された年代で見ると、祖父は三十前後の壮年で、末弟が十七八であったらしい。恐らく末弟――私からは伯[#「伯」に「ママ」の注記]父に当る少年が、当時住んでいた米沢で、この本を読みでもしたかと思われる。彼は、木綿の「裾細《すそぼそ》」(もんぺいのようで袴腰のついているもの)をはいて、膝位まである雪を踰《こ》え、友達の処へでもゆき、
「此は好い本だしか。何んでも書いて無えちゅものは無いしか」
と、評判したかも知れない!
             ○
 福島警察の古書類は、当時の所謂人民と官憲との感情衝突をよく示している。その頃県令であった三島通庸に対する世評の一端もうかがわれる。熱情的な農民等が、明治維新によって目醒された自由平等の理想に鼓舞されて、延びよう延びようとする鋭気を、事々に「お上」の法によって制せられ、幻滅を感じるが如何《ど》うにかして新生活を開拓しようと努めた跡が、ありありと見える。このむきな人々が、僅か三四十年の間に、何と云う悧巧に、円滑になったことだろう。彼等が余り速に、賢く打算にぬけめなく立ち廻るようになったことは、私に浅くない、やや暗い感銘を与える。明治維新は斯うして考えて見ると、女学校で習ったのとは大分内容を違えて私の前に現れて来る。
[#地付き]〔一九二四年七月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「現代仏教」
   1924(大正13)年7月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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