ったら養子に行くなというくらいだから、御覧のとおり何一つないうちへ来てくれとは決して云わない。ただ、生れた子に後をつがせて貰えれば満足だ。きよ子さえあなたに頼めば、もう自分は安心して目が瞑《つぶ》れる。お豊は娘ばかり持った親の苦労を訴えた。
それやこれやから、話は故郷のことに移った。その場合も詮吉は謂わば一つのたしなみで、生れた故郷ではない、育った第二の故郷について、物を云っているのであった。
階下でボンボン時計が、いかにも時代ものらしくゼンマイのほぐれる音を立てながら悠《ゆっ》くり十時を打った。
「――もうこんなですか?――とんだお邪魔してすみませんねえ」
そう云いながらなお未練げにお豊が立ちかねていると、格子が、高い音をたててあいた。
「――きよちゃんかい?」
「ええ」
「二階だよ……ちょっとよせておいただき」
また、ええという声がし、階子段《はしごだん》の下で気配がするのに、なかなか上って来ない。
「何してるんだい」
ふ、ふ、ふ。ひとりで含み笑いしている声が軽い跫音《あしおと》と一緒に聞え、カラリと唐紙をあけるなり白いショールを手にからめたきよ子が、
「ただいま!」
見違えるように艶やかな桃割に結った頭を電気の下へ下げた。
「ほほう」
詮吉は珍らしげな声を出した。
「まア……どれ?」
横を向かせて見て、お豊は、
「いいじゃないか」
と云った。
「駄目なのよ。姉さんたら、自分が髷に結うもんだから私にも結え結えって。――洗いもしてないんですもの」
暫らくすると、お豊は娘を先へおろし、やや声を低めて詮吉に念を押した。
「――どうぞ考えておおきなすって下さい。身勝手ですみませんが、気を悪くなさらないで下さいね」
下から睦じそうに喋っているきよ子とお豊の声がする。詮吉は、書類鞄から大小様々の印刷物をとり出し、机の上へひろげ、煙草に火をつけた。
詮吉の仲間の男で、それは下宿していた家の娘に信用され、直接結婚を申し込まれたという話があった。その男は、個人的な関係から大事が壊れるといけない、三十六計逃げるにしかずと、怱々《そうそう》に引越してしまった。
詮吉は、きよ子に対する心持が恋愛から遠いだけ、寧ろ、お豊が自分を信用するようになったその点から、何とかしてこの母娘にも自分達の活動の性質を間接にわからせてやる法はないものかと思った。それが順だし、よしん
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