という題であったように思う。働いて娘と暮しているつましい若い母が、一ヵ月の労苦のかたまりである月給を入れたまま財布を失った事件がかかれていた。若い母親のつとめさきである下町の時計問屋の生活の内部の情景、困難や災難にも明るさを失うまいとして娘と生きたたかっている妻、母の思いも克明に描かれていた。栄さんは、おそらく現実にそういう経験をしたことがあったのではなかったろうか。そして、獄中の繁治さんのためにも、その小説が印刷されるように努力したのではなかったろうか。
その短篇は、主題は働いて生きる女性の積極な面をとらえていても、表現は一般的な写実の範囲にあった。ところが、それから四五年したら、「大根の葉」「暦」と、壺井栄さん独特の作風をもつ作品が生まれはじめた。これは、壺井栄さんが婦人作家のおちいりやすい技巧をこねまわした工夫の結果ではなかった。わたしは、むしろ、人間として女としての壺井栄さんが、ある意味で腹を立て、地声で、自分の言葉と云いまわしで、素直で自然な多くの人々はどう生きるかということについてすぱすぱとものを云いはじめた結果だと思う。さもなければ、「財布」から「大根の葉」「暦」への決定的な表現の飛躍が理解されない。ますます息づまって来る当時の戦争万能の社会の空気と、そのなかでからくも情緒的な何かを保とうとしているいわゆる女流の文学。そのころはプロレタリア文学の運動も挫かれていた。壺井栄さんは、『戦旗』の発行や発送のためには大きい見えない力として扶《たす》けた人だった。良人や息子を獄中に送った女の人々のよい相談あいてであるばかりでなく励ましてであった。子供のうちから体で働いて生きながら、そのような人生の中に美しいもの、愛くるしいもの、素朴で、うそのない親愛なものの存在するのが、働く人々の宝であることを感じて生きて来た婦人の一人である。自身、人間の生活に何かのよろこびをもたらさずにはいられない栄さんが、世間も文学もあの息苦しさと人為的な形にしいられるなかで、こらえ切れなくなった息を一つ深く深く吸いこみ、さて、と立って襷をかけ、動き出したのが、「暦」そのほかこの集にもおさめられたいくつもの作品であったのではないかと思う。「暦」にしろ、「女傑の村」にしろ、盲目の女の子を語る「赤いステッキ」、子供の労働を、ひとりでにいつか遊戯と絡まり合う自然の姿で描いた「桃栗三年」、不幸だ
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