れたが、ツァーの軍隊のために労働者は蹴散らされた。
この日「血の金曜日」より以来、勤労大衆の胸には、今まで「地上における神の名代」としてうつっていたツァー[#「ツァー」に×傍点]に対する容赦ない憎悪が刻印された。ロシアの勤労大衆は、ツァー[#「ツァー」に×傍点]が専制政治の先頭に立っているものであることを、大きな犠牲によって知ったのである。この日から都市において、抗議ストライキの波、農村においてストライキと地主農園の破壊が起った。労働者は八時間労働制と、専制政治に対する闘争をスローガンとした。
闘争は軍隊にも起った。一九〇五年六月、黒海艦隊に叛乱が起った。「ポチョムキン」号の水兵は、政治的要求を掲げて立ち上った。彼等は士官を捕縛し、僚艦を味方として叛乱を続けたが遂に敗北した。が、この敗北にも拘らず、それはツァー[#「ツァー」に×傍点]の支配を動揺させ、ロシア革命の武装蜂起の価値ある下地となることが出来たのである。
一九〇五年九月以後、プロレタリアートを先頭とする政治運動の波はたかまった。十月ペトログラード(今のレーニングラード)にストライキ、武装蜂起が起った。八時間労働、市民の自由、憲法議会の召集が主要要求であった。
十月十三日には、ペテルスブルグで最初の労働者の「ソヴェト」が待たれた。(ソヴェトとは、代表者会議という意味である。勤労大衆の意見、利益を代表して主張し、その貫徹のために闘う代表者を大衆選挙によって決定する仕組である。)
このソヴェトは、ペテルスブルグのみでなく、全ロシアの闘争――武装蜂起、革命の指導部となった。そして、これらの革命的昂揚におされて、ツァー[#「ツァー」に×傍点]の政府は十月十七日、「政治的自由」と「帝国議会の召集」を約束して、一応の譲歩を示した。だが、その約束が口約束だけだと言うことをプロレタリアートが指摘し、更に闘争をつづけた。農民運動はコーカサス、中央ロシア、ポーランド等に春の三倍もの地域において拡大した。十一月中旬、黒海艦隊の「オチャコフ」号は、新たに叛乱を起した。
十一月には、労働者ソヴェトの数がふえた。
十一月一日から七日まで、第二のゼネラル・ストライキが開始された。鉄道、印刷の労働者等は、労働者ソヴェトの同意の下にのみ動いた。軍隊はソヴェトに同情を寄せた。
十二月八日から九日にかけて、ソヴェトの決議に基き、政
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