児が今朝、樫の木の彼方から、
「や、ポチがいらあ」
と叫んで、連れ戻した。――私と倶に暮しているYは、女ながらおかしい心をもっていて、往来で犬に出会うと、
「S、エス、エス」
と大きな声で呼ぶ。犬は尾を振らぬ。
「おや、Sじゃなかったか。ポチ、ポチ、――ポチふうむ、ポチでもないのか」
夜、暗く長い桜並木の間を家へ帰る途中、よく犬と道づれになる。彼女は、そのように、道づれになった犬と問答するのであったが、この時ばかりは、ポチが本当にポチであったから、呼ばれたポチも他人とは思えず、つい一晩泊ってしまったのだろう。
そのポチの、鼻の先に我家を眺めながら寝込んだどこやら呑気な性質が愛嬌で、その後も、思い出してはやって来た。
ポチが潜るのも面倒がる程、土用の間に裏の夏草は高くなった。コスモスの葉も見える。あの根方の茂みには蛇も昼寝するであろう。
蓬々とした青草の面に、乾いた、何処やら白いような光線が反射し始めた。七月に吹いていたのとは違った風回りで、風が室を吹きぬけた。風のない午後四時、蝉は鳴きしきっているが、庭の芝、松の木などの間から漂う香が、何か秋らしさで私の脈搏を速める。
朝、私は全く思いがけず、裏の叢の上に蓼の花の咲き出したのを見つけた。
蓼の花は高く咲いている。
秋が更けて空が澄んだら蓼の花は美しさを増すであろう。
心にある除熙の絵が働いて、私は朝靄の裡に開いたばかりの一輪の白蓮の花を思い浮べた。そこは鎌倉、建長寺の裏道だ。午前五時、私共は徹夜をした暁の散策の道すがら、草にかこまれた池に、白蓮を見た。靄は霽《は》れきれぬ。花は濡れている。すがすがしさ面を打つばかりであった。
模糊とした私の蓮花図のむこうに、雨戸は今日も白々としまった一つの家がある。
[#地付き]〔一九二七年九月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「アサヒグラフ」
1927(昭和2)年9月7日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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