うなのであった。

 丁度、今年の若竹が育つ盛りの時分で、おじいさんの庭にもはぐれて生えた数本の若竹があった。日毎に、日の光を梳いてあつみの増すそれ等の若竹の葉越しに、私共は毎日雨戸をしめた裏の家の軒下を眺めて暮すことになった。
 入梅があけると、空家の庭に苔がつき、めっきり青草が伸びた。雨戸はしまったままだ。
 夏になったので、何処かの子供が、空地を見つける子供の本能で早速その叢へ躍り込んで来た。豌豆の手に立ててあった細い竹ぎれを振廻す男の児の裸の腹。
「アラ! いた、いた」
 草の葉を掻き分け、見えたり隠れたりする小娘の赤い兵児帯。――
 子供の心にも、白々と雨戸のしまった空家は、叢が深ければ深いだけ、フッと四辺が森閑とした時変な気持を起させるのか、荒庭は直放棄されてしまった。
 もう子供の声もしない。草がのびる。草ばかり夜昼繁茂する。夜半、目が醒める。微に草の葉のすれ合う音がする。月を吹く風か? いやあの青草のまた伸び上る戦ぎであろう。菁は凄に通ずると感じながらその戦ぎを聞いた。
 その空家の叢の蔭に、いつからとなく一条草が踏みつけられた。そこから白黒斑の雄犬が一匹私共の家へ来る。自由な、親密な感情を持ったこの動物は、主人が、人夫を入れて物干杙を引き抜かせて去っても、私共が彼を呼んだ声を覚えていると見えて、来るのだ。尤も、これには一つ話がある。
 まだ春も夜寒な頃、十時過ぎて或る印刷所の使が玄関に来た。見ると、一匹の犬が、その使の若者と共に、三和土《たたき》のところに坐っている。
「まあ犬をつれて来たの?」
「いいえ。どっかの犬がついて来て離れないんです」
 使は程なく帰ったが、その犬ばかりは三和土から外へ出ようとしない。
「サアもうお帰り」
「サヨナラ。サヨナラ」
 お辞儀をして見せても去らぬ。敷台へ前脚をかけ、頻に尾を振り、吠《な》いた。
「何だポチ、帰った、帰った」
 一層、足袋をはいた足許にまといつくし、頸環もこわれているし、ブルドッグの雑種らしいところもあるし、私は遂に、
「じゃあお泊り」
と云った、風呂から上ったばかりであったが、私はミルクを振舞われた犬を引いて、茶の間の裏へ廻った。ラジオの柱から繩をつけて椽の下の箱へ寝られるように繋いで自分も眠った。

 次の朝、日曜日であったが、起きると犬は居ぬ。犬は、裏の家へ来る人の犬であったのだそうだ。男の
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