そのことに憧れる風なものである。受動的なロマンティストとでもいえようか。このロマン主義にあらわれている彼の受動性は、ヨーロッパ文化の伝統に対して、日本文化の伝統というものをいきなり在るがままの常套、約束、陳腐ごと受けいれ得る性格にあらわれている。また、作品の到るところに散在する敗残の美の描写も、一方にきわめて常識的な通念が人生における敗残の姿としている。それなりの形、動き、色調を、荷風もそのまま敗残の内容として自身の芸術の上に認めている。荷風にあっては、それに侮蔑の代りに歌を添えるところが異っている。身は偏奇館、あるいは葷斎堂に住して、病を愛撫し、「身を[#「身を」に傍点]落す」自傷を愛撫し、しかしそれらを愛撫するわが芸術家魂というものをひたすらに愛撫する荷風は、ある意味では人生に対する最もエゴイスティックな趣味家ではあるまいか。
ヨーロッパの婦人の社会生活を見ている荷風は、ヨーロッパ婦人の美しさの讚美者であり、その頽廃の歌手であった。従って、婦人の社会的な自由や生活範囲の拡大ということに反対は唱えない。「英吉利の婦人が選挙権を得ようとする運動にも同情するくらい女権論者である。」男の
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