出しつつ、彼の生きた歴史と文学の性質は、社会の鏡としての結婚、家庭そのものの在りようを痛烈な疑問として提出せず、苦痛の間を低徊する精神の姿で描写したのであった。
 今日、私たちの周囲にある文学作品が、こののこされた意味深い矛盾、テーマを、どのように発展させているであろうか。日本の女の生活の現実が、どのように自らこのテーマを押しすすめて来ているであろうか。
 風俗画としての面から今日の文学を見れば、たとえば丹羽文雄氏によって描かれている女の姿も一箇の絵図であろうし、菊池寛氏の家庭、恋愛観も常識というものの動きを除外していえば最もひろい底辺を示しているであろう。
 だが、明治の初頭、『女学雑誌』を発行した人々が胸に抱いていた情熱、日本では半開のままで次の波をかぶってしまった男女の人間的平等への希望は今日どのような変貌をとげて、どこに生きつづけているであろうか。今日のロマンティシズムさえ日本では女を封建の姿にポーズせしめようとするところに、一言にして尽すことのできない重いせつない未来へ向っての努力への呼び出しがかくされているのである。[#地付き]〔一九三八年一月〕



底本:「宮本百合子全
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