冷笑について」「二方面」「夜の三味線」などにまざまざとあらわれている。
時代はすこし前であるが、漱石もロンドンから帰った当時は、同じような苦しみを深刻に経験している。漱石は、だが一身上の必要から、やっぱりいやな大学にも出かけなければならず、そのいやな大学の講義に当時の胸中の懊悩をきわめて意力的にたたきこんで、彼の最大不機嫌中に卓抜な英文学史と文学評論とを生み出した。
荷風の方は、家父もみっともないことをせずひっこんでおれといわれ、衣食の苦労もないところから、その内面の苦痛に沈酔した結果、ヨーロッパの真の美を、その伝統のない日本、風土からして異る日本に求めたとしてもそれは無理である、ヨーロッパ文学の真価も、実にきわめて少数のもののみが理解し得るのであるとして、自分は、ひとりローマをみて来たものの苦しくよろこばしい回顧、高踏的な孤独感を抱きつつ、真直に日本の全く伝統的なものの中に、再び新たに自ら傷《きずつ》くロマンティシズムで江戸の人情本の世界に没入して行ってしまったのである。
日本の文化と西欧の文化の接触の角度に、いつも何かの形であらわれて来ているというリアクションは、日本文学史の一つの特徴となる相貌である明治、大正の期間に、これが微妙に相関しているのみならず、現代に到って、この点はいっそう複雑化されている。そのあらわれがたとえば一人の作家横光利一氏の個人的な芸術の消長に作用しているばかりでなく、昨今では文化統制の傾向において強められ、さらにその傾向が一般の文化人が世界の文化に対して抱いている感情とは必ずしも一致していない状態にまでおかれている。
荷風のロマンティックな、芸術至上主義風なリアクションは、ヨーロッパ文化の伝統はそのまじりもののない味いにおいて、日本の文化の伝統はまたヨーロッパとは別個なるものとして、あくまでペンキで塗られざる以前の姿において耽美したいという執着によっている。
いわゆる世にそむき、常識による生活の平凡な規律を我から破ったものとして来ている荷風が、女というものを眺める眼も特定の調子をもっていて、良家の婦女という女の内容にあきたりないのはうなずけることであると思う。荷風の年代で周囲にあった良家の婦女子というのは、恐らく若ければただの人形が多かったであろう。やや世故にたけたといわれる年頃では、そういう階級の狭い生活が多くの女の心に偏見と
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