りすぎてしまった。
 本年の夏は、例年東京の炎天をしのぎ易くする夕立がまるきりなかった。屋根も土も木も乾きあがって息づまるような熱気の中を、日夜軍歌の太鼓がなり響き、千人針の汗と涙とが流れ、苦しい夏であった。長谷川時雨さんの出しておられるリーフレットで、『輝ク』というものがある。毎月十七日に発行されているのであるが、八月十七日の分に、「銃後」というきわめて短い感想を森茉莉氏が書いておられた。それは僅か、二三枚の長さの文章である。「私達はいつの間にかただの女ではなく『銃後の女性』になってしまっていた。一朝事があれば私も『銃後の女性』という名にぴったりした行動は取れなくても、避難の時までものを見、感じ、書く、という形で銃後を守る心持はあるが」と、後半では物質に不自由がなくて生きる苦しみなぞと言うことは申訳のない事のようだが、「生きている事の苦しさがますますひどくなる」その苦しみに疲れてかえって苦しみを忘れたように感じられる瞬間の心持、また苦しさの中にあっても「少女のように新鮮に楽しく生きて行くという理想に少しでも近づきたい」それは書くことを機会としてゆきたいという気持が語られてあるのであった。
 森さんのこの文章をよんで、私はあの日、門をあけて出て来た女のひとが、やっぱり森さんであったろうという確信をたかめた。それから、あの日、車の中の私に向って目にとまるかとまらないかの笑みをふくんだ視線を向けていた女のひとも。あの女のひとの趣味や華やかさを寂しさに沈めて、それなのに素直でいるような風情は、森さんの短いうちに複雑な心のたたみこまれている文章をよんで、はっきりとうなずける。現代の女は、社会のさまざまの姿に揉まれ、生きるためにたたかっているのであるが、森さんの現実の姿と文章の姿とは偽りない率直さで、今日の女の苦悩の一つの姿を語っている。
 森茉莉氏のふぜいある苦しみの姿とでもいうようなものの中には、よい意味での人間らしい教養、落付き、ゆとりというようなものがあって、それらは生活の上にある余裕からも生じているが同時に性格的なもので、しかも一応は性格的といわれ得るものに濃くさしているかげがあるように思われる。明治の末から大正にかけての社会・思想史的な余韻とでもいえようか。
 私たちは実に痛烈に露出されている今日の矛盾の中に生き明日へよりよく生き抜かんとしているのであるけれども、
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