を与えることは、かえって、地道な新しい文学の創造力の歩みだしを戸まどいさせる。いきぐみばかりつよくて、さて、書くてがかりがつかめるのかわからなくなる。文学ジャンルとしてルポルタージュ文学の奨励だけでも十分ではないであろう。小市民出身の民主的文学者が実際に自分で生きていっている日々の民主的活動の内容や動きから、出身問題だけをきりはなして、自分を小市民でしかありえない、ときめている例がある。これは、労働者出身であれば、その理由だけでプロレタリア作家であったり、民主的作家でありうると考えるのと同じまちがいだといえる。生きている階級性は、生れだけの問題ではない。その作家・評論家のよりたっている社会の歴史とその中における階級問題の見かた、生きかた、実感のありどころにかかっている。きのうも、きょうも、あしたも、ある種の労働者よりもっとよく明瞭に労働階級の意義、人民的民主主義を理解してそのために献身する小市民出身者、インテリゲンツィア出身者がある。この場合これらの小市民であった人々、インテリゲンツィアであった人々は、いまや労働階級の立場に立つ民主主義文学者なのである。労働階級は、自身のたゆみないたたかいを、搾取する階級に対して行っていると同時に、おなじ不屈さをもって、労働者階級のうちに巣くいむしばむ搾取階級仕入れのすべての考えかた、好み、偏見とたたかっているのである。この事実が具体的にのみこめたとき、文学の大衆化の問題について中央委員会から報告されたように、民主的作家は、社会のあらゆる階層を描破しなければならないという課題が、現実性をもってくるのである。[#地付き]〔一九四八年三月〕
附記 『風知草』『播州平野』『二つの庭』などについて、非常にどっさりさまざまの批評がある。作者して[#「者し」に「ママ」の注記]、それらから学ぶことも多いが、見解のちがうところもある。それらについてはいくらかまとめて書く適当な折もあろうかと思っている。[#「附記」は底本の「解題」に掲載]
底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
1952(昭和27)年5月発行
初出:「新日本文学」
1948(昭和23)年3月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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