鸛《こう》の鳥が小さい私をオパール色の宮殿から母さんの膝につれて来たんです。
 それからあったかい日光と、よい空気と、甘いお乳で、やきたてのお菓子の様に育って、手足がたくましく真直になった時、私は跳る様にして、今日まで続いて居る長い旅をはじめたんです。けれど……
A あなたたった一人で?
 お母様といっしょじゃあなく?
旅 ええたった一人で。
 勿論始めは友達もあったんですけれどね。
 あんまり長い間の事でしょう、
 それに行く方も違って居るんで今では私の影坊師が私のお伴《とも》なんですよ。
B 淋しかないの?
 たった一人で旅なんかするときっと困る事だらけなんだろうのに……
C 私はたった一人だとは思わないわ。
 お母様のおっしゃった事、
 お父様のおっしゃった事、
 神様のおっしゃる事はいつでも一緒に歩いてるんですもの。
旅 ほんとにね。
 自分一人は又世界中の人でなけりゃあいけません。
 それから私は毎日毎日一生懸命に歩いてるんですよ。
 お月様のいい時には、貴方方のねていらっしゃる夜でも森をこして行きました。
B 提灯もなくって?
 案内者もつれずに?
旅 そんなもののないのがあたり前なのです。ついて居る道さえ見失わなければいつかは人里に行けます。
 或時は、花が一杯咲いて気の遠くなる様なよい匂いのする原っぱを歩きよろこんで居るうちに、道がいつの間にか嶮しい山路になって私は牡鹿の様なすばやさで谷から谷へ渡らなければなりませんでした。
 急な川の流れを越そうとして足をさらわれたり、ひどい荊で手を痛くした事も沢山ありました。
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「まあ」子供の中から起る歓声。
「可哀そうねえ。
「そんなにひどい事なの。
「それでそんなに色が黒くなってしまったの。
此等の断片的な言葉が、低く三人の中からゴチャゴチャに出る。
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旅 ええ、ええ。
 そいからもっと貴方がたがびっくりなさる事がある。
 それは斯う云う事なんです。
 あなた方がお母様に寝部屋につれて行っていただいて冬は暖い、夏は涼しいお床にお入んなさる時に私共は、外の夜露の下りる木の下にねる事がある事です。
 びっくりなさるでしょう?
B まあ、外でねるの。
 そりゃあいけないわ、
 夜は風を引き易いって云うのに。
 もうするのおやめなさいね、
 叱られるわ。
A 私何だか気味が悪いわそんな事、
 何にも出なくって。
 若し出たらどうなさるの、お母様はいらっしゃらないし。
C 立派な手足があるわねえ、おじさん。
旅 そうそう、私はこれから段々みがきのかかった手足でまだどの位の日数を歩いたら行きつくか分らない、行かなければならないところへまで毎日毎日歩かなければならないんですよ。
 今日までのうちに私はどっさりいろいろのものを見ました。
 森の木の枝に自慢の角を引っかけて玉にうたれた鹿だの、孔雀の羽根で恥をかいた可哀そうな鳥だの、片目をたのみすぎた罪のない驢馬だのねえ。
B まあそんなに?
 私にはそんな事考えられないわ。
A そんな旅はいつまで続《つづ》くの。
 来年まで?
 さ来年まで?
旅 神様が御召しになる日までつづくんですよ。
 もう少したつと貴方方も旅に御出かけにならなけりゃあならないんです。
 野宿もしなければならず、川も渡らなければならない事をいつまでも覚えていらっしゃいね。
 さあ、大変長いお話をしてしまった。
 御覧なさい、
 あんなに向うが暗くなって来ましたよ。
 さあ、帰りましょう。
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Cはじいっと何か考えて居る様に口を利かずに遠くを見て居る。
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A あら、Cちゃん、どうしたの。もう行くのよ、お話がすんだのよ。
C ええ、知って居るのよ。
 何だか大変、私には重いお話の様に思えるわ。
 行きましょう。
B ほんとに面白かった。行きましょう、さ。
A 有難うおじさん。
 私きっと美味しいパンとチイズをあげるわ。
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旅人を中にはさんで三人の子供は歩き出す。
そして順番にやわらかく、民謡の様な左の文句を口ずさむ。
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雪の降る日に小兎は、
あかい木の実のたべたさに
親の寝た間に山を出で
城の門まで来は来たが(ここまでA)
赤い木の実は見えもせず
路は分らず日は暮れる
長い廊下のまどの下
何やら赤いものがある、(Bここまで)
そっとしのむで来て見れば
こは姫君のかんざしか
珊瑚の玉か恥かしや
たべてよいやら悪いやら
兎は悲しくなりました。(Cここまで)



底本:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年12月25
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