たが、「しかしそれよりもっと大きい原因は、流行に対する一種の反撥心みたいなものであった。彼は真面目な人は尊敬していた。だが日頃こいつがと思っているような軽薄な奴までが、忽ち往来の何もかもを否定し梅雄などを木ッ葉みたいに云い倣すのが我慢ならなかった。」「おけら[#「おけら」に傍点]共が派手な弁舌で時を得顔な時代思潮を説いているのを見ると」「流れに身をまかせて安きについているようにさえ思われた。」
 梅雄はそれでひねくれてしまうのではなく、反動的な生き方をする人々を凡て軽蔑し、その点で姉である松下夫人をも人間として軽蔑しているのである。
 私の次弟は、一九二九年の夏、高校の三年生で自殺をした。そういう経験からも私はこの条に注意を喚起されて読んだのであるが、荒木巍氏の「新しき塩」(中央公論)の中でも、違った形と作者のテムペラメントにおいてではあるが、やはり「流行的な参加の仕方に反撥を持ったによる」と云うことが自信をもって云われている。今日、文学の中でこういう表現が確信をもってされ、それとしての通用性を自覚した感情で云われ得ているということが、複雑な思索を刺戟し、心を揺って更にひろい、過去未来への問題へ私を誘い出すのである。

          二

 数年前のことであった。志賀直哉氏が何かの場合に、自分は思想としてのマルクス主義に反対はしないが、その中で働いている人間をいきなり尊敬することは出来ない、という意味を語ったのを間接にきいた。
 いかにも志賀氏らしい言葉であると、当時私は面白く思った。そういう一見はっきりした潔癖性、この人生における座の構えによって、その構えを可能にしている土台のある限り、志賀氏のリアリズムは「万暦赤絵」の境地に安坐するであろう。そう思ったのであった。
「強者連盟」の梅雄の生活感情を読み、「新しき塩」で魚住の云っていることを読むと私の記憶には志賀直哉氏の言葉まで甦って来る。そして、一つの声を加えるのである。
 石坂洋次郎氏の「麦死なず」を流れる感情も根柢に於ては、ここに血脈をひいている。「麦死なず」に対する批評に向って反駁的、勝者的気分で書かれている同氏の「悪作家より」(改造・十月号)でその気分は極めて率直と云えば率直、高飛車と云えば高飛車に云われているのである。
 石坂氏のように、さア、返事はどうだというような気持も、主観的には壮快なるものが
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