白な顔が上気《のぼ》せうるんだようになった。それでもそうやっている。何か可哀そうっぽいところがあるので、ふと見咎めた米が、
「縫子さん、どうかして?」
と云った。
「おや、悲観してるの? 何か」
さも揶揄《からか》うように仰山なてふを睨んで縫子は徐ろに首を擡げた。彼女は、腰を反らせるとくしゃくしゃ両手で眼を擦《こす》りながらとってつけもなく、
「あああ、眠くなっちゃった」
と大きな生欠伸《なまあくび》をした。それを見ると皆はひときわ高く笑いこけた。縫子がごまかそうとしたのが明かだと思うから、なおさら笑いがこみ上げて来る。縫子はあまり笑われるので自分までほんのり赧くなってしまった。
「おやめなさいってば――」
彼女は面倒くさそうにとんび足に坐ったまま風呂敷包の方へ小柄な紡績絣を着た体をずらし、やっと仕事に取懸った。
二
縫子は、いつからとなくヒステリー娘だと思われていた。機嫌のいい時面と向って「縫子さん、またヒステリー起しちゃいけませんよ」などと出入りの細君が云っても、彼女はちっとも怒らなかった。万事心得た年のいった娘らしく笑って「へえ、へえ」などと冗談に紛らして答えた。自分でもヒステリーをそれなら承認しているのだろうか? 縫子は、山科さんの娘のようなのこそ本当のヒステリーだと思っていたから、自分については拘泥しなかった。山科さんというのは秋田の大金持で、東京に別宅があり、そこの借家に、縫子の親、杉村勘次郎一家が住んでいた。家賃三十四円の借家人と家主以上の関係が、母親なみが頼まれる縫物をなかだちとして生じた。山科さんの娘の名は桃代と云った。五つ六つの太ったいい着物を着た子であった時分、桃代という名はどんなにか可愛らしい少女にふさわしいものであった。今でも着物は道楽で、それ故なみが時々徹夜さえさせられるのだが、あまり愛らしい女ではなくなって来た。桃代は二十五で、桃ちゃんと呼ばれ、家にいた。女中や下男などに気に喰わないことがあると寒中でも水をぶっかけた。秋田ではそれでも働く人に事は欠かなかったろうが、東京では山科の家の門だけ明いている訳ではない、と皆逃げ去る。困ると、縫子を迎えに来た。下の働きをさせるより、桃代の相手役に頼まれるのであった。年の大して違わない――縫子は二十三であったから――話対手の他人が入ると、桃代は水をかぶせるほどの癇癪は一遍も何故か起さなかった。おそろしく――一緒に並んで歩くのが極りわるいほど盛装して妻三郎の活動を見に行く位のものであった。
そういうのこそヒステリーらしいヒステリーだ。縫子は決してそんな話の種を作るようなことはなかった。彼女はただどうかした拍子で時々云うに云われず一切合財生活の事々が詰らなあくなってくるだけであった。生きているのが厭というのでもない。何がどう詰らないというのでもない。ああその張合いないどうでもよさといったら……。縫子は眼を開けているのさえいやで面倒になるのであった。母親が師匠だけあって自然手に入った裁縫でさえ、そのような時縫子の気つけ薬には役立たなかった。ましてあたり前な水仕事や洗濯など。――彼女は床にもぐったきりになった。そこから黙って出て来て御飯を食べて、再び布団をかぶりに戻る。
家は下が二間しかなかった。箪笥や長火鉢の置いてある四畳半に縫子が寝ていると、お針子が手水に行くにどうしてもそこを通らなければならない。母親や妹の登美とともにお針子達も、縫子の病気は理解していると見え、誰一人真面目に心配はしなかった。平常親しい米やてふも、いたって軽く、
「縫子さんいかが」
と通りすがりに声をかけて行くだけであった。枕元に蹲んで話しかける者もない。変に放任されて、縫子は寝ている。彼女は侮蔑というほどでもない家じゅうの侮蔑にそうやって遠巻きにされつつ醒めているのか、うとうとしているのか。力が萎えて体がしゃんと立たない。大儀に寝がえりを打つ時など涙が眼尻から冷たく流れ落ちた。
朝、六時半に登美が目を醒した。彼女は、
「姉さん」
と、隣りに並んで眠っている縫子を起した。
「もう時間だわよ」
縫子はひどく充血した眼を開いて陰気に寝たまま、着換えしている妹を眺めていた。
「火起してるから早く起きて頂戴」
登美は私立女学校の三年生であった。彼女が火を起し、お釜までかけたのに姉はまだ起きてこない。その部屋に学用品をのせた机もあるし、登美は、
「どうしたのよう姉さん」
とふくれ声を出して催促しながら障子をあけた。また枕についたまま縫子は憤ってでもいるように妹を凝っと見、やがてあっち向になるなり夜具を引きかぶってしまった。
「――――」
ちょっと呆気にとられた登美は、合点が行くと、
「仕様がないわね」
と大人らしく呟いた。
「姉さん、起きないの? 起きないんなら母さん
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