か、という疑問をとりあげた。又、親子の愛というものの固定的な宗教的でさえある評価の観念に対して、ストリンドベリーのように現実の錯雑を個人の生活経験の範囲で能うかぎりの仮借なさでむいて示した作家もある。
 これらの人道主義的な個人主義的なヒューマニティの理解の時代は、ヨーロッパ大戦の後、或る質的な飛躍と波瀾とを経て今日に到っている。例をアメリカにおける産児の制限の場合にとって見よう。所謂《いわゆる》キリスト教の精神によって、アメリカは従来サンガー夫人たちの所論を公然とは認めていなかった。ただ、必要な場合の医療的処置としてうけ入れていたのであったが、昨今は急に産児を制限する範囲のことは賢い親の義務の一つであるとして、カソリックの坊さんまで、結婚しようとする若い男女の民衆に忠言するようになって来ている。アメリカでは家族の人員によって割増のつく失業労働者手当の予算が尨大になる一方で、労働者が困るばかりか、貧困な労働者や失業者の子供の多いことでは、慈善団体、社会事業施設が等しく閉口して来た。産児の制限に対する態度が変化したのは、社会のこの部分がやかましく云い出したからである。これがアメリカの新しい経済政策の蔭の一部をなしている。二十年前、三十年前に、富裕な女たちばかり家庭医というものの処置を利用して、彼女たちより何倍か母として負担の多い勤労多数者の妻にその必要な知識と手段とを許さなかった時代に要求されていた声の本質と、今日それを一般に承認している声の本質とは、同一の産児制限をめぐって、一つの声は人間的欲求であったし、一つの声は非人間的な或る意味での剥脱の声なのである。こういう現実に即してみたとき、もし産制の運動者が今日のアメリカにおける変化をただ自分たちに自覚されている善意と努力の側からだけで評価して雀躍するなら、計らずも彼らのよろこびの声は本質的にまことに非人間的な声への合唱となるのである。私たちに生む自由を与えよ。こういう希願は、一見きょうの多数の女又親たちの置かれている悪事情に反するようであるのに、つきつめて見れば、この声がまともに応えられる時にこそ、人間らしい自主的な意図での制限も可能であることになる。女として見れば、きょうの世の中には生ませられる母と生ませられない母胎というものが余りありすぎる。文筆の上では、私という一人の女が、さながら子供なんぞ可愛いと思ってはいけない夜叉のヒューマニズムでも高々とふりかざしているかのように云われる舟橋氏も、主張されるその新胎に立ってしずかに眺められた時、ここに一つの愛し生まんと熱望しつつ歴史の歯車によってその可能を引裂かれている女の、どのような訴えがあり、クレイムがあるかということは、おのずから理解されずにはいないであろうと思う。
 日本における今日のヒューマニズムの問題は、その正当な進展の道に、社会の諸事情によって様々の困難を負うている。その困難の深さ、複雑さの一つが、見やすい形ではヒューマニズムの理解における安易な日常性肯定の傾きにあらわれていると思える。ヒューマニズムの理論的闡明に附随している不便や現実の展開の局限などから生じた停滞が、この傾向を助長させているのであろうし、又限界をひろくして観察すれば、そういう傾向にいつしか導き込む安易さが昨年あたりからヒューマニズム提案がなされた初期からの或る底流の一筋としてつづいて来ていることも見出されるのである。
 ヒューマニズムはいよいよ上昇線を辿る時代が近づいて来たと舟橋氏は云っておられる。ある人々の主観の中での昂《たかぶ》りでなく、人間生活の歴史的動向に沿うて上昇し発展されなければなるまい。子供を愛すことも出来ないで何のヒューマニズムぞやと云いすてるところから、今日人々が再び、子供を愛すとはどういうことなのだろう、ヒューマニズムとはどんないきさつを持つのだろうと、我とひととの現実の感情にあゆみ入って社会的に見直そうとしている意欲に、人間的な前進の念願が見られなければならないのである。
 くわしく触れている余裕がのこされていないが、ヒューマニズムの理解の中にある日常性の容易な肯定の傾向と文学における大衆とその生活の観かたの中にある追随とは、非常に微妙に関連している。このことは徳永直氏の「八年制」と「心中し損ねた女」(十月新潮)と人民文庫にかかれている文章との一つながりの中に深刻な課題として出て来ているのである。[#地付き]〔一九三七年十一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「あらくれ」
   1937(昭和12)年11月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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