争中の日本人民は、あのように侵略思想で統一され、偽瞞されつくした。金を儲ける文化企業者は、人民の生血そのものをも、平気で自分の利益に換えた。軍閥・資本家の結托というと、政治綱領めいて響くが、現実はまざまざとその真実であることを示しているのである。
日本の民主化ということは、実に実に重大な意味をもっている。日本の民主化は、全くじかに、私たちの人間性の主張と自覚と、人間として生きるよろこびの確保ということに結びついているのである。
地方文化と都会文化との分裂、地方が文化上の搾取に会うことは、民主精神が伸長して、地方における人民自治の実質が高まったとき、根底から変化させられる。
社会政治の全面に、わたしたちの健全な判断力が反映してゆくにつれて、文化に対しても私たちは、自主の権威にみちた選択の自由をもち、創造の自由を得るのである。
本当の民主の生活とそのこころが身につけば、地方が所謂地方主義に陥ることもなくなって来る。自分の地方だけの独特性、その価値、その主張を固執する心理の原因は、一方に単調な、画一な中央主義がある場合である。このいずれも亦、十分の民主化のない社会文化におこる危険であり、民主化によってだけ解放される困難なのである。
今日、地方に、文化の動きが多いということは、ただそれだけのことではないと思える。日本の全社会が、どんなに動き出して来ているかという証拠であると思う。若い世代が、自分たちの青春と発展の可能を、自覚して実現しようとしはじめていることであると思う。文化の波音は、その社会、その地方のいのちの動きの歌である。解放への羽づくろいの気配なのである。
このことは、今日、地方に紙があり、印刷能力があるという偶然以上の意義をもっていることとして、十分に会得されなければならないと思う。
今はじめて、私たちは公然として人民たる自分を生かしはじめた。私たちの文化も、漸々《ようよう》これから私たちのものとして成長しはじめようとしている。あらゆる日本の隅々から、あらゆる日本の町々から、日本の人民の議論と、笑いと、真摯な物語りとやさしい心情の流露とが溢れて、荒廃した日本を沃土としなければならないのである。
日本は、このように小さい島である。けれども、南と北に弓なりに張られていて、地方の文化的テムペラメントは貧しいということは出来ない。それらは、より豊かにより豊かにと、成育しなければならないのである。
そして、小さいながらも充実した文化をもつ人民の日本として、晴れ晴れと、自信にみちた明るい瞳をもって世界に登場しようと希うのである。[#地付き]〔一九四六年五・六月〕
底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
1952(昭和27)年1月発行
初出:「巨人」
1946(昭和21)年5・6月合併号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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