府が、地主・軍人の保守性、侵略性をもって出発したことは、明らかな必然である。市民階級が擡頭して作った近代ヨーロッパ社会と全然ちがう半封建の明治がはじまった。
 明治の大啓蒙家であった福沢諭吉が、自分の著書にいつも東京平民福沢諭吉と署名したことを知らないものはない。これは彼の気骨を物語っている。その反面に、明治が、その現実において、どんなにまで封建的であり、身分の観念と結びついた官僚主義が横行していたかを語っているのである。
 市民社会を土台としてそこから近代化した日本ではなかった、という一つの事実は、明治以来の日本の文化に、重大な関係をもっている。
 日本全国の諸企業が独立独歩出来なくて、中央政府の保護を必要としたという一つのことは、同時に日本中の各都市の独自な発展、経済的能力が乏しかったことを証明している。当然、それらの都市での文化も、決して強い独特な隆盛をもち得なかったのであった。
 乏しい故の中央集権が、日本各地方の文化にそれぞれ独特な、ゆたかな展開を可能としなかった上に、一層わるいことは、その状態のまま文化面でも出版業のような利潤追求の企業はどんどん成長して行ったことである。
 どんな国でも、都会人口よりは、農村人口が多い。利益を求めるものの本能は、数を重要に見る。従って、儲けるための出版業者は、いつも「地方」を対象におき、そこで売れるためには、決して「地方的水準」を高めようとせず、それに媚び、おもねり、面白がられることを商売の上手とした。
「地方巡り」という一つの文化上のタイプは出版から、娯楽から、あらゆる面に存在している。吉本興業のような漫才発明の興行者から、今度除名された講談社まで、彼等の尨大な富は、地方を文化の市場として、地方の低さを餌食にして、築き上げられたのである。
 都会の文化と地方の文化とは分裂させられていた。企業家にとって、地方は、文化的殖民地めいた関係におかれた。地方そのものの文化的創造力は高めようとされず、その性格をより充実させ、高貴ならしめようとは援助されず、ただ、欲求だけをもっていて、それと引かえに与えられるいかがわしい一冊の本であった。一晩の観劇に対して、無抵抗に支払うものとしてだけ扱われて来たのである。
 ここにも、これまでの日本の封建性と近代資本社会の混合した恐ろしい害悪が現われている。
 こういう文化機構であったからこそ、戦
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