のようにきかれる場合も少くなかった。今日私たちはこういう文化のあり方と、文化というものについての理解に対して大きい疑問をいだきはじめた。民主主義は文字通り人民の幸福を主として考え、運営される社会を意味する。人口の九割五分が勤労者として生活している時、その人口の男女比率で婦人が三百万人も多い時、これらの勤労する全人民を、人口の半分以上の婦人のよろこびや悲しみや希望を表現する人間の表情としての文化が昔のままの少数の人、あるいは独占的営利主義の産物だけでありえようか。文化会議は基本的には、こういう民主主義社会の文化の発展のために、今日私たちが現実に生きているまだ封建くさい社会の中でどんな可能性をもっているかということをみんなで話し合う会議だと思う。どういう可能性があり、どういう障碍物があり、どんな方法でそれを打ち破ることが出来るかを研究しあう会だと思う。一つのきまりきった型をして、みなさんこれにならえという風な役所的な会議である筈がない。役所風のいわゆる文化政策に対して、私たちは生きて働きながらも十分に食うことが出来ずしかも未来を信じ、より高い科学的な人間社会とその文化を生み出してゆく情熱に燃えている心をうちあけて相談しあい、それを実行に移して勤労者の善意というものはどういうものかということを自分にも人々にもはっきりさせてゆこうという正直で熱心な意図にたっている会議だと思う。だから会議では多くのことが率直に現実的に討論されることを希う。
 日本の今日の矛盾が文化面にもたらしているあらゆる矛盾と偽瞞と不明瞭さがとりあげられ調べられるだろう。私たちの実力の乏しさや技術の下手さや智恵の乏しいということもわかるだろう。それだからこそ全国的な規模でこの会議のもたれる値うちがある。会議の何よりの価値はその諸問題が盆の上で豆をよりわけるようにぞうさなく処理されてゆくのではなくて、私たちが自分たちが自分たちの運命の主人公になるには、どれ程の事業をなし、どれ程の実行力と忍耐と明瞭で生一本な民主的発展への誠実な情熱を必要とするかを学ぶところにあるのだと思っている。私はこうした立場から終戦後の文化動向に関する一般報告を文化、芸術の面から行いたいと思う。[#地付き]〔一九四七年七月〕



底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   19
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