来た。佐多稲子、松田解子、平林たい子、藤島まき、壺井栄などがそうである。これらの婦人作家は、みな少女時代から辛苦の多い勤労の生活をして来て、やがて妻となり母となり、本当に女として生きてゆく希望、よろこび、その涙と忍耐とを文学作品に表現しようとして来た人々なのである。
 戦争の永い間、私たちは声を奪われ、文字を奪われた生活を耐えて来た。その黙らされていた日々を、私たちの精神は、何も感じずに生きて来たというのだろうか。
 時が来れば苔にさえ花は咲くものを。あの苦しさ、あの思いを、女として全生活の上に蒙って来た日本の婦人が、今日、これから漸々《ようよう》そのことについて語り、生活のよりよい建設に参加する意志に立つ文学を生み出すことを、どうして期待せずにいられよう。私たちには言葉がある。今その言葉で、真実を語りはじめようとするのである。[#地付き]〔一九四六年十一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27
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