するようになった。各新聞の古風な商売仇的競争も、商品としての新聞の売行きのために激しく鼓舞され、記者たち一人一人の地位は、木鐸としての誇りある執筆者の立場から、大企業のサラリーマンに移って行った。記者その人々の存在は、社名入りの名刺とその旗を立てて走る自動車の威厳によって装われるようになったのであった。
 最近十数年の間戦争を強行し、非常な迅さで崩壊の途を辿った今日までの日本で、新聞がどういうものであったかは、改めて云う必要さえもない。わたし達は本来の意味では新聞というものを持たずに、何年かを過させられたのであった。
 ところで面白いのは、最近何年間かのこの輿論封殺時代に、新聞人は、却ってその前時代の散漫であった人々よりも遙かに内面的になり、批判的になり、且つ客観的な科学性をもって社会事象に向うようになったことである。新聞関係の人々は、各方面を広汎に、戦時中の社会生活の現実を目撃し、理性ある人間であるからには、それを批評せずにはいられなかった。しかし、その声は完《まった》く封じられていた。
 今日、こういう過程を経た新聞人の進歩的な要素が、わたしたち人民の、ひろく強く生き進もうとする熱意と本当に自然な一致をもって結び合わされつつあるのは、実に意義深いことだと思う。言論が客観的な真理に立つ可能とその必然をますと共に、人民の生活意識が、人間らしい欲求の自覚とその行動に進むにつれ、新聞はおのずから一転換を誘われて、再び、金儲け事業としてではない新聞の内容と組織とになろうとしている。様々の形で、そういう動きがある。
 これは、うれしく愉快なことだと思う。サラリーマンから、再び、人民の声を反映し、同時に木鐸たる記者に、自身の本質をとり戻すジャーナリストたちの新しい希望と、それに対する数千万の人々の期待は、互に苦しい時代を経ているだけに、決して表面の交歓ではないと信じている。
[#地付き]〔一九四五年十二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「民報」
   1945(昭和20)年12月1、2日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
青空文庫作成ファ
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