外旅行」をも書いているそうである。
ナチス・ドイツの絶滅した今日、エリカ・マンはふたたび故国のドイツの土をふんでいるであろう。が、行動性にとみ、民主精神に燃える彼女に、敗れはてたドイツの姿はどううつっているであろう。ことばにつくせない犠牲をはらったドイツの民主主義のために、エリカ・マンの美しいエネルギーは、まだまだ休む暇はあたえられていないのである。
ふかい犠牲をはらった民主主義への道と書かれている内山氏の紹介の文章をよむとき、私たちの魂にひびく共感がある。ほんとうに! 私たちの日本が、民主主義の黎明のためについやした犠牲は、なんと巨大なものであったろう。かぞえつくせない青春がきずつけられ、殺戮された。知性もうちひしがれた。民主の夜あけがきたとき、すぐその理性の足で立って、嬉々と行進しはじめられなかったほど日本の知性は、うちひしがれていたのであった。
日本にエリカ・マンはありえなかった。けれども、いまやっと、人間の基本的人権の確立がいわれるようになったとき、日本の知識階級の若い女性たちは、自分たちめいめいの運命の開花の問題として民主主義社会建設の課題を、どのように真剣にとりあげは
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