説以前の現実状況の報告文学としての意味で、作家と読者との一般的関心の前におかれたのは、今日から数年前、プロレタリア文学のもつ社会性の本質からであった。これまで文学の仕事というものは、今日にあっても室生氏が未だ業ならざる者は弾丸に当って死ぬがまし、と云っても自身その言葉に赤面しないですんでいるような、特殊な専門的修練を経て成り上った少数者の技術のように考えられていた。しかし、それならばと云って、所謂《いわゆる》文学的専門術は身にそなえていなくても、人間として民衆として生きる日常の生活の中から、おのずから他の人につたえたいと欲する様々の感想、様々の生活事情が無いと云えるだろうか。あったことを語りたい。忘られない或ることを語りたい。小説ではなくあったままに、それを書きたい。報告文学の人間的要求の根源はここにあった。新しい社会性の上に立って文学の仕事に進もうとする人々に、スケッチや報告文学《ルポルタージュ》をかくことから導いているプロレタリア文学の方法は、この意味で文化の現実に即し、新たな文化のヒューマニズムに立っているのである。同時に、既に十分の技術をもっている作家が、刻々に推移してしかも一
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