も藩士のうちでは早く剪った方らしく、或る日外出して帰った頭を見ればザンギリなのに気丈の曾祖父が激憤して、武士の面汚しは生かして置かぬと刀を振って向ったという有様を、祖母は晩年までよく苦笑して話した。開発のことが終生頭についていた人であるから、金を蓄える方面は一向に駄目で、島根へ、役人として袴着一人をつれて行っていた暮しの間でも、米沢の家の近所のものには太政官札を行李につめて送ってよこすそうだと噂されつつ、内輪は大困窮。その頃の旧藩士と新政府とに対する微妙な感情から、政恒という人は政府から国のそとで貰う金は国のそとで使ってしまうべしという主義でいたのだそうだ。
そのときの役が参事司補。曾祖母と隣りの老人とが日向で話している。「今度のお役は何というお役むきでありますか」「参事司補であります」「ホウ、三里四方でありますか?」そういう対手も耳が遠いが曾祖母もやっぱり同様なので、おとなしく「ハイ、そうであります」と答えている。祖母にはそれがつくづくおかしかったと見え、ふざけることの下手な正直者であったが、切下髪を動して「ハイ、そうであります」という口真似から身ぶりまで実に堂に入っていて、私は大
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