歯科診療所をこしらえることにしたんです。二年計画でやったんです。みんなよろこんでいますよ。――わたしたちは誰しも早く婆さんになってしまいたくはないものね」
私も一緒に笑ったが、ふと思いついてきいた。
「――でも、時間はどうなんです?――つまり仕事の間にここへやってきて治療して貰うらしいけれど、その時間は、やっぱり八時間の労働時間にくり入れられるんでしょうか」
「そうですとも。丈夫な体になっていなければ立派な働きもできないわけじゃありませんか。わたしたちには工場も健康も大切です、どちらも自分のものだもの。……そうでしょう?」
わたしはこの言葉をきいて、体が熱くなるような感じにうたれた。革命まではロシアの工場でも、日本の工場と同じようなひどい条件で女が搾られていたのである。
ドン国立煙草工場には自慢の托児所があり二百七十人ぐらいの子供の世話をやいている。私が行ったとき、托児所の庭の青々と茂った夏の楡の樹の下にやや年かさの女が三つばかりの男の子を抱き、金髪の若々しい母親が白い服を着せた生れたばかりの赤児を抱いて、静かに談笑しながら休んでいた。話して見ると、何と愉快なことだろう。この二人の年齢のちがう母親たちは、互いに母と娘とで、二人ながらこの「デゲテ」工場に働いている婦人労働者なのであった。
「わたしはもう自分の末の子を二人ともここで育てて貰ったんですよ。……今度は私の娘が初めての子供をつれて来る番になったわけです。……わたし達の生活はすっかりここにあるんです……ねえオーリャ……」
案内してくれる文化委員は、工場学校の方へ歩き出しながら話に告げた。
「あの二人は模範的な母親たちですよ。お母さんの方は代議員だし、オーリャは党員候補です」
ソヴェト同盟の工場では五人に一人ぐらいの割合で婦人労働者の間から代議員というのを選んでいる。これは党員ではないが、ソヴェト同盟がプロレタリア・農民の国であり、社会主義の社会を建設してゆき、益々富み、階級のない社会とするためには、どういう風に働かなければならないかということを理解し、実践する婦人労働者を皆が選んで、職場でのあらゆることについての相談役、世話役、説明役となって貰うのである。ソヴェト同盟が搾り専門の社長、重役を工場から追っぱらったと同時に、監督とか世話役とか天くだりの役員を廃絶し、みんなが順ぐり互の仕事を監督し合い、技術を向上するよう励まし合ってゆくプロレタリアらしいやりかたが、この代議員というものに現われている。
一旦、托児所を出て往来を横切ると特別な工場学校の小門があって、十五六歳の少年少女がそこを活溌に出入している。入ったところの広場で一つの組が丁度体操をやっている。十七八人の男女の工場学校の生徒が六列に並んで、一人の生徒の指揮につれて手を動かし、足をあげ、時々、
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ホ! ホ! エハーッ!
エハーッ!
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とかけ声をかけ、笑いながらやっている。広場の奥の大きい厩か納屋だったらしい建物があって、そこが、今はすっかり清潔に修繕されて、運動具置場になっている。「懸垂」などもそこにおかれている。
教室へ入って行って見ると、仕事着を着た男女生徒が、旋盤に向って注意深く作業練習をしているところである。ひろい窓から日光が一杯さしている教室中は森《しん》として、機械の音だけが響いている。もう白い髪をした指導者が一人一人の側によって仕事ぶりを親切に眺めていたがやがて壁にかかっている時計を見上げると、
「さア子供達、腰かけた!」
と響のよい年よりの声で云った。生徒たちは仕事机の下にバネじかけでしまってある腰かけを引き出し、一斉に腰かけて、作業をつづけている。
「工場学校では、若い生徒の体が健康に成長するように、三十分起立して作業すると、十五分は腰かけて仕事をする規則なのです」ソヴェトの世の中になってこそ、ほんとに若い男女の勤労者の幸福はくるのだ。つよくそう思わずにいられなかった。私はドイツでも、堂々としたジーメンスの工場を見たが、その工場の内に働く者の幸福を高めるための技術を養う工場学校があり、しかも十八歳までは六時間労働、十六歳以下は四時間と、ちゃんと法律によって定め、その賃銀の払われる労働時間のうちに教育のための時間を半分ずつ算入しているところなどは、どこにもなかった。五ヵ年計画では、その上もっと素晴らしい計画が実行されようとしている。これまでは、ソヴェト同盟でも、青年少年の男女労働者のとる賃銀は大人より幾分低かった。日本やアメリカなどの若い労働者のように、半額などということはないが、それでもいくらかやすかったのを、今度は、六時間労働でも、大人なみ八時間労働とまったく同じ賃銀を払うということである。男の子も女の子も十六七になれば、食べるもの
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