を向上するよう励まし合ってゆくプロレタリアらしいやりかたが、この代議員というものに現われている。
 一旦、托児所を出て往来を横切ると特別な工場学校の小門があって、十五六歳の少年少女がそこを活溌に出入している。入ったところの広場で一つの組が丁度体操をやっている。十七八人の男女の工場学校の生徒が六列に並んで、一人の生徒の指揮につれて手を動かし、足をあげ、時々、
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ホ! ホ! エハーッ!
  エハーッ!
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とかけ声をかけ、笑いながらやっている。広場の奥の大きい厩か納屋だったらしい建物があって、そこが、今はすっかり清潔に修繕されて、運動具置場になっている。「懸垂」などもそこにおかれている。
 教室へ入って行って見ると、仕事着を着た男女生徒が、旋盤に向って注意深く作業練習をしているところである。ひろい窓から日光が一杯さしている教室中は森《しん》として、機械の音だけが響いている。もう白い髪をした指導者が一人一人の側によって仕事ぶりを親切に眺めていたがやがて壁にかかっている時計を見上げると、
「さア子供達、腰かけた!」
と響のよい年よりの声で云った。生徒たちは仕事机の下にバネじかけでしまってある腰かけを引き出し、一斉に腰かけて、作業をつづけている。
「工場学校では、若い生徒の体が健康に成長するように、三十分起立して作業すると、十五分は腰かけて仕事をする規則なのです」ソヴェトの世の中になってこそ、ほんとに若い男女の勤労者の幸福はくるのだ。つよくそう思わずにいられなかった。私はドイツでも、堂々としたジーメンスの工場を見たが、その工場の内に働く者の幸福を高めるための技術を養う工場学校があり、しかも十八歳までは六時間労働、十六歳以下は四時間と、ちゃんと法律によって定め、その賃銀の払われる労働時間のうちに教育のための時間を半分ずつ算入しているところなどは、どこにもなかった。五ヵ年計画では、その上もっと素晴らしい計画が実行されようとしている。これまでは、ソヴェト同盟でも、青年少年の男女労働者のとる賃銀は大人より幾分低かった。日本やアメリカなどの若い労働者のように、半額などということはないが、それでもいくらかやすかったのを、今度は、六時間労働でも、大人なみ八時間労働とまったく同じ賃銀を払うということである。男の子も女の子も十六七になれば、食べるもの
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