れている矛盾が、おのずから、これらの諸文化団体を含む支配的傾向の特殊な一面性を告白しているのである。
伝えきくところでは、長谷川如是閑氏が「新日本文化の会」の会長になるそうである。『日本評論』の匿名リレー評論をよむと、日本の思想界を次の時代にひきいてゆく力量をもった綜合的思想家としては如是閑氏を措いて他にないように云われている。筆者は誰なのかもとより判明していないが、その文章と対比して当の長谷川如是閑氏が、『改造』八月号に執筆していられる「帝国芸術院論」をよんだ読者の胸には必ずや或る感想が湧いたことであろうと思う。
「帝国芸術院論」に於て、長谷川氏は、芸術そのものの理解者としては芸術至上主義的な立場を表明していられる一方、社会的関心の一つとしての芸術的関心は公のもので国家的のものであるとして、両者を分裂においたまま、アカデミーというものも、国民的「性格のよりよき表現を求めんとする社会的意欲の必然」として持たれるものであると極めて簡単、安易に肯定していられる。芸術家の日常生活、創作の内奥に作用する現実としての社会的相剋の問題こそ、現代の芸術問題の根幹をなしているものであるが長谷川氏は前一文の末で「社会的意欲」と支配的意欲との間に、今は世界的な範囲で立ち現れて来ている相異さえ明らかにしていられない。
『セルパン』八月号にも同氏の「文化の自由性と文化統制の原理」という論文がある。そこで氏は文化の自由こそ文化を進めるものであると主張されているのであるが、ここでも氏の判断の中で曖昧のままのこされている上述の一点は作用して、結末に於て、作家たちが「保護」に対して常に懐疑的であるのは尊敬すべきであるが「反対にそうした信念を尊重しつつ彼らの芸術の発展を助長することは、文明国の古代からの伝統でもあったが、現在に於てもその原則は破られない」という、今日の日本の現実に即して観た客観的効果の方面にはふれない抽象論を提出していられるのである。今日の一般人はいろいろと苦しい思いの中で文化への希望を失わず生きようと努力しているのであるから、現実の事象の理解についても、おのずから犀利なるものを求めているのである。[#地付き]〔一九三七年八月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「三田新聞」
1937(昭和12)年8月5日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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