るが、実際には帝国芸術院が出来ると一緒に忽ち養老院、廃兵院という下馬評が常識のために根をすえてしまった。「新日本文化の会」が出来た。「中央文化連盟」が出来た。そういう記事報道を読む一般人の表情には、無関心か軽蔑か憎悪かが、一種の苦笑と共に浮んでいるのは何故なのであろうか。
今日の文明国同士のつき合いでその国の文化水準や芸術の成果はそれぞれ意味ふかい影響を与えあっている。日本も、軍事的行動に於て所謂《いわゆる》怒髪天を衝く態に猛勇なばかりでなく、文華の面でこのように独自であり、政府もその評価に吝《やぶさか》でないという一つのジェスチュアとして、アカデミーもつくられる一つの時代的必然があるのである。しかも、その一部の必要、必然と今日の一般社会人の生活感情の間に湛えられて満々と漲っている文化的要求、文化的発言に対する自由の要求との間に、覆うことの出来ない開きがある。本質上の矛盾がある。アカデミーによって日本最高の芸術と云われる竹内栖鳳の五匹の蛙が五千円というような絵や「新日本文化の会」で中河与一氏、保田与重郎氏などによってロマンティック狂信的に讚えられる万葉精神と、私たち一般人の日々の経済力、合理性との間に、調和し難い裂け目が口をあいている。それであるからこそ、アカデミーについて言及する時、人々の顔には複雑な表情が浮ばざるを得ないのである。
松本学氏によって「文芸懇話会」がつくられていた間、文芸懇話会賞というものが出されていた。この間この組織が実質に於てより大規模な上述の諸組織に発展的解消をするに当って、最後の賞を尾崎一雄氏、川端康成氏に与えた。この賞に当っても、嘗て会員によって推薦された作品が、所謂左翼的立場に立つ作家によって書かれているものであるという理由で、投票破棄になった事実は周知のことである。
もし真に文学の発展を期するのであれば、日本の文学史の上に一つの新たな芸術運動をもたらした左翼的作家の業績も、当然アカデミーによって評価せられなければならない筈である。それは決して為されない。そういう要求を明言することさえ野暮であるというのが一般の通念である。山本有三氏の芸術を愛する者の心情は或は菊池寛氏の腰を据えた常識を愛する者の気分より現代の日本に貢献するところが多いかもしれないにかかわらず、山本氏は「一部の異論」で芸術院会員になれなかった。それらの現実にむき出さ
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