まいおぼれまいとして居る人達の心はそんなにはっきりとは分らない。
でも幾分かは分る。知っても居る。
生活の困難な世の中ではなるたけらくで人のうけもいい仕事をしたいのは人間として又あんまり体をつかう事のきらいな今の人間としては必[#「必」に「(ママ)」の注記]して無理ではあるまいと思われる。
けれ共芸術にだけはそう云う思いを持って親しんではもらいたくないとどんな時にでも思って居る。
只その呼名をきいただけで顔が熱くなるほど真面目に私が愛する芸術をよごさずに置きたいと思う。
ことに文学の様なものはどれだけ人間の生活に大きな影響をおよぼすかははかり知る事が出来ず又それがあんまり見えすいたら私達はおびえなければならないかもしれないけれども文学が良い影響のおよぼされた時を想像すれば私は一寸首をふって微笑する事が出来る。呪われた影が文学によって人生の上にひろがりおしかぶさった時の事を思えば人の見えない四方の見えないものの中に入ってでもしまいたいほど――又より以上に恐れて苦しまなければならない。
なぐさみ半分にする人ならば、
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「もっとやさしいぞうさない仕事があったらそれにうつろう」
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と云っても私は怒りはしないかもしれない。
それが長い間専門にそのことにたずさわって居る人の口からこの言葉をきいた時の私の心はほんとうにみじめな情ない悲しさにみたされた。
「芸術」とカッコをして置いて奉ってばかり居たらそれについての研究も改革も出来るものではない。
大なる悟の前にはキット迷と疑いがあると同じに、芸術と云うものを或る一種の尊いものにするのには一度は各々が一つずつ芸術を抱えてそれを疑いの目を持ってでも迷ってでも研究して悪くはないと思う。
けれ共研究した最後は一つの尊い人間の特別な清い感情によってのみ感かすことの出来る輝かしいものとして現われなければなるまいと思う。
死ぬまで芸術の研究者であっても好い。
けれども芸術に対してオッチョコチョイであってはならない。
自分の心臓からとばしり出る血を絵の具にして尊い芸術を――不朽の芸術を完成して最後の一筆を加え終ると同時死んだ画家の気持をどの芸術家にでも持ってもらいたいと思う。
その画家が若かったか老いて居たかは私は知らないけれ共だれでもが生と死との境の分らないまでにどんづまりに
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