、ほんとうに」
[#ここで字下げ終わり]
 筆は益々かるく文は益々美くしく、白い手は段々早く走って少年の詩人の思は夜と一所にさえて行きます。しばらく立って見て居た母親も知らない間に来て知らない間に出て行きました。三時間立って時計が十二時をうった時又、母親はのぞきました。けれどもまだ灯の下で走るペンの音はやみませんでした。翌朝今日が向の山を出ると云う時に母親が詩人の部屋をのぞいた時は、机の上には白い紙にすきまなく文字のかかれたのが高くつんであって詩人はその間に安心したらしい顔つきでつよい朝日をよこがおにうけてかすかないびきをして居ました。母親はそうっと自分のもって居たやわらかい絹のショールをかけてつまさき立てて部屋を出ました。詩人が星の様な目を見開いた時にはもう台所から肉をむす湯気が立ちのぼって居る時でした。自分の体にかけられたショールを見それから昨夜の事から今までの事までを古い時によんで物語を人の話で思い出す時の様な気持で思い出しました。
[#ここから1字下げ]
「私はローズと森から帰って来て、御飯をたべてここに来て、紙をのべてそれから一行書き出した時、耳のそばで森の女の通りな声で一寸つまると美くしい文句を教えてくれる、それを書きとって行くと後から人声がする。誰かと思って見るとあの時の通りのなりをした森の女が立ってジーと見て居た、だまって私のわきに来て手をとって筆をはこばす夢の様な柔い気持になってされるままになって居ると美くしい文は泉の様にとばしり出て白い紙には美くしくインクの模様が書かれる。そしてその森の女は手を置いて自分の耳のはたで、
[#ここから2字下げ]
『私の小さい美くしい人、まだ私をお覚え。今夜っきり、おお今夜っきりもうあいますまい、けれどもいつか、キットいつか、そうださようならおたっしゃで』
[#ここから1字下げ]
と美くしいすごみのある声で云って見えなくなってしまった、それからのことは自分の一寸も知らない、そしてそれから私は今までねつづけてしまったのだ。不思議な森の女、彼の女は森で別れる時に何と云っただろう。
[#ここから2字下げ]
『私の小さい美くしい人、この森の中の一人ぽっちな女をいつまでも忘れないで居てちょうだい』と云ったっけ。
[#ここから1字下げ]
 不思議だ、私は何だか気味がわるくなった。早くあっちに行って母っかさんに会ってローズにも会お
前へ 次へ
全23ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング