今まで書いていたけれ共貴女のうたにさそわれてここまで来たのに」女のような声でうらむように云いました。
 詩人の頬は少しあつくなりました。白いかげは云いました。
ロ「私は貴方の声をしばらく聞きませんワ。どうぞ一つきかせてちょうだい。美くしい可愛い私の弟」ふるえている声です。空に月はありません。小ぬか星はキラキラまたたいて下の芝生に白い花は見上げるように咲いています。詩人はそれを見下してその目を上げて云いました。
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詩「姉さま、私の姉さま、何かうたいましょう、そしたら姉さまも一つ」
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 詩人はそのやさしい腕をむねにくんで赤い唇を開いて詩《うた》いました、それは即興の美くしいやさしい詩でした。それは、「私は今美くしいローズの香をあびて身をふるわして居る。けれ共、意志[#「志」に「(ママ)」の注記]の悪い夜のとばりは黒いまくでおおってしまってどうしても私に姿を見させて呉れない。にくい夜の闇よ、意志[#「志」に「(ママ)」の注記]悪な夜の神よ」と云う意味のものでした。まるでやさしいこんな夜によく似合った美くしい詩でした。詩人が両手をほどいた時に白い影から美くしい声が起りました。それは詩人がいつかローズと一所に野に行った時に即興にうたった歓迎の詩をたくみないかにもよろこばしそうにうたいました。若々しい声は夜の空気の中に美くしい脈をうちました。詩人はよろこびにみちた声で、
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詩「有難う有難う、お姉さま。私の家に来てちょうだいナ」
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ロ「有難う。だけれ共もうおそいでしょう。あしたあがりましょう。私の美くしい弟、もうおやすみなさい、またあした。そこにいつまでも居るとどくですもの」と云いました。詩人はつまらなさそうな声で云いました。
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詩「エエ」
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 両方共に声はありません。青い星がスーイと尾を引いて飛びました。闇の中にかすかな声で、
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詩「ローズ」
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と云う声が起りました。向うの白いかげもかすかな美くしい声で、
ロ「私の美くしい弟、早くお入りなさい、寒くなりますよ。いくら夏だと云っても、もう入りましょう。又あした。私
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