に発表され、近代小説の本質に迫った二葉亭四迷の「浮雲」とは、全く無縁の作品の世界をもっていることは注目すべきである。また、花圃とおない年であった北村透谷が激しい青年の心に当時の社会矛盾を苦しんで、「当世書生気質」の半封建的な人生態度の卑屈さと無思想性に強く反撥しながら、人間の精神の高貴さを求めていた思想の動きに対しても、花圃の環境が全く無感覚に生きられていたということにも関心をひかれる。はじめて婦人によって書かれた小説という意味で、文学史に記録されている「藪の鶯」は、文学の本質において決して近代精神の先頭にたって闘うものではなかった。筆のすさびとして当時の教育ある婦人[#「教育ある婦人」に傍点]の妥協的常識の水準をしめしたものである。
「藪の鶯」の本質はそのようなものであったが、この一作が世間の注目をひいたことは、他のいくたりかの文才のある婦人たちに文学活動の可能を与えることとなった。木村曙「婦女の鑑」が読売新聞に連載され、清水紫琴「こわれ指輪」、北田薄氷、田沢稲舟、大塚楠緒子、小金井喜美子(鴎外妹)の翻訳、レルモントフの「浴泉記」、ヒンデルマン「名誉夫人」、若松賤子のすぐれた翻訳「小公子」などがもたれた。
 これらの婦人文学者たちの教養は、花圃の内面世界よりも数歩前進してヨーロッパ文学の影響のもとにあったであろう。しかし、生活の現実において、彼女たちの文学は女としての日常のおもしの下にひしがれた。この人びとの文学への志は根気強い、いちずなものがあったにしろ、当時の社会環境の中で女の文学の仕事は、やはり余技の範囲にとどめられた。このことは、少くない作品をかいた大塚楠緒子の死後、作品集がのこされていないことにも語られている。田沢稲舟が山田美妙との恋愛事件に対して世間から蒙った非難に耐えなくて、自殺したことにもあらわれている。
 生活のために職業として小説の創作に入った最初の婦人作家は、樋口一葉であった。一葉の苦しかった生活のいきさつは、ひろく知られている。「にごりえ」「たけくらべ」などは、古典として、今日に生命をつたえている。これらの独特な趣をもって完成されている抒情作品は、明治文学が自然主義の移入によって大きい変化をおこす直前、すでに過去のものになろうとしていた紅葉・露伴の硯友社文学のある面と、透谷・藤村などの『文学界』のロマンティシズムとが、一葉という一人の才能豊かな婦人作家の上にこって玉をむすばせたともいうべきものであった。
 一葉は、一方に封建的なしきたり、人情をひきずりながら、急速に資本主義化してゆく当時の日本の社会層で、下づみにおかれている人々の男女関係、親子関係、稚な心の葛藤などを、紅葉・露伴の文脈をうけついだ雅俗折衷の文章で描き出した。曲線的な彼女の文体はままならぬ浮世に苦しみ反逆しながら、それをくちおしさ[#「くちおしさ」に傍点]としうらみ[#「うらみ」に傍点]として燃やす女のこころと生活の焔によって照らされ、それまでの婦人作家の誰も描き出すことのできなかった文学の世界をつくった。一葉の世界は旧く、しかしあたらしく、また旧さにたちかえって、そこに終結した。このことは彼女の全作品を通じてみられる興味ふかい歴史的要素である。彼女と半井桃水との、恋であって恋でなかったようないきさつに処した一葉の態度にも、この特徴はあらわれている。一葉の文学に独特なニュアンスとなって響いている旧いものは、とりもなおさず当時の庶民生活のあらゆるすみずみに生きて流れていた人民の真実であった。彼女の作中の人物たちは、心と身をうちかけてそのしがらみの中にもがいた。その意味で一葉の作品は、雅俗折衷の文体そのものによって旧い情感を支えながら、こんにちに生きのびる実感を保っているのである。

 短い翼[#「短い翼」はゴシック体](一九〇〇―一九一六)

『明星』が発刊されたのは、一九〇〇年のことであった。黒田清輝、岡田三郎助、青木繁、石井柏亭など日本の洋画の先駆をなした画家たちが、与謝野鉄幹を中心として「新詩社」を結成した。二年前に『文学界』が廃刊された。鉄幹は透谷、藤村などのロマンティック時代を、芸術至上主義の気よわなロマンティシズムであるとして、『明星』を彼のいわゆる「荒男神」のロマンティシズムに方向づけた。鉄幹のこのロマンティシズムの本質は、「支配する者のロマンティシズム」として認められている樗牛のロマンティシズムと同質のものであった。日本のロマンティシズムのこのような変貌のかげには、一八九四―一八九五の日清戦争で、日本が台湾・朝鮮の植民地所有者となり、賠償金三億円を得て産業革命が躍進させられたという社会事情がひそんでいる。
 一八九七年に鉄幹の詩集『天地玄黄』が、アジアにおける侵略者としての、日本の最初の勝利のうたい手としてあらわれた。堺の
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