た大衆小説を意味ないものに感じさせるようになって行った。どんな経済的基礎で生きているのかわからない男女が、男であり女であるという面でだけのもつれに人間的全力を傾けている田村俊子の作品の世界も、いまは遠く思われた。『青鞜』時代は、若い世代の婦人たちにとって、かつてはそのような虹も立ったことがあったという昔話の一つのようにうけとられた。
 プロレタリアートの経済・政治運動が、労働大衆としての男女に共通した理論に立っていると同じに、プロレタリア文学の理論は、婦人作家と男の作家を一つに貫く階級的な文学観であった。小林多喜二が「不在地主」「オルグ」「工場細胞」「地区の人々」「安子」「党生活者」(「転換時代」として一九三三年四・五月『中央公論』に発表された)と歩み進んだ道は、歩はばのちがい、体質と角度の相違こそあれ、何かの意味で窪川稲子その他すべての婦人作家の文学的前進とつながるものであった。
 しかし、日本の社会的現実には、女にとって苦しい二重性があり、自覚した労働者の家庭の中、組合のなかにさえ、男の習慣となっている封建性はつよくのこっている。日本の繊維労働に使役されている婦人労働者たちは、ほとんど少女たちであり、農村の婦人の一生は、牛一匹よりもはかなく評価されてさえもいる。プロレタリア文学に、婦人の創造力が発揮され、そのような婦人の声が階級としての成長にかえってゆくためには、婦人独特の条件に即した何かの方法が必要であった。プロレタリア作家同盟の婦人委員会は、このような必然から生まれた。植民地大衆の生活と文学のために植民地委員会を、婦人とともに搾取されている青少年大衆のために青少年委員会を。過去の文学にはいろいろの流派――ロマンティシズム、自然主義、人道主義、耽美派などが現われた。けれどもプロレタリア文学運動は、これらの半ば封建的な要素をふくんでいる日本のブルジョア文学の流派の一つではない。同じように封建的な影をもちながらも、資本主義社会の中から生まれでて、日本の封建性と資本主義の克服、階級としてのプロレタリアートの勝利をめざす世界観にたった文学の確立をめざしたのであった。
 横光利一、川端康成などによって組織された「新感覚派」は、過去の文学にあきたらないけれども、プロレタリア文学はうけ入れない人々のグループであった。作品は表現派や未来派の手法によって試みられたが、このグループはほどなく消滅した。中村武羅夫の「誰だ? 花園を荒す者は!」というプロレタリア文学排撃の論文は、文学史の上に有名である。武者小路実篤その他、人道主義作家として出発した人々が、彼らの人道主義の具体的発展であるプロレタリア文学運動に対して反撥をしめしつづけてきていることは注目される。いわゆる「純文学」が、ますます文学としての本質を弱体化されて出版企業に従属させられながら、プロレタリア文学運動に対しては文学の「文学性」「芸術性」を固執して闘いつづけている矛盾は、中村武羅夫の場合とくにあきらかであった。芸術性をいう彼自身は大衆小説の作家であった。
 一九二九年に『女人芸術』に「放浪記」を発表して文学的登場をした林芙美子と、一九二〇年に短篇「脂粉の顔」をもって登場した藤村(宇野)千代の文学的足どりには独特なものがある。これら二人の婦人作家は、その出発のはじめ、それぞれに彼女たちが無産の女であり、生きるためにかよわい力で貧にまみれながら日々を過しているその境遇から生れる文学であることを訴えた。この訴えは、当時の社会的感情にうけ入れられやすかった。同時に彼女たちは、ただよう雲をみているような風情によって、また、どんなに貧しくてもその中で男のためにはいそいそと小鍋立もする、いじらしい女の文学としてのよそおいを強調した。そして、その貧しさという一般性と、そこにからめられたなにかはかなくとりとめない女の詩情のアッピールによって、貧しく出発した林芙美子は、「女の日記」を通って今日「晩菊」の境地に到達した。宇野千代は、一九三三年の「色ざんげ」を文学的頂点として、やがて「スタイル社」の社長となっていった。
 この二人の婦人作家たちは、プロレタリア文学運動に近づかない自分たち女というものをアッピールすることによって、平林たい子とまたちがった文学行路を辿った。彼女たちがしめした道行は、田村俊子の生活と文学にみられなかった、より高度な資本主義への姿である。
 一九二八年に発刊された長谷川時雨の『女人芸術』は、窪川、中條、松田、平林、などの作家から林芙美子、真杉静枝その他、当時の社会雰囲気に刺戟されてなにかの形で生活意欲の表現をのぞんでいた婦人のきわめて広範なエネルギーを吸収した。『青鞜』の時のように岡田八千代、山川菊栄、松村みね子などという人々も寄稿した『女人芸術』は勤労婦人の層にもよまれて、中
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