。あることを経験しているときの、じかにそこから来る感動。それが直接で深く、どんな婦人のこころをもゆりうごかす文学となるためには、もう一重くりかえされ、しかも、自分からはなした、感動がいる。ある婦人が、ある事件・事情のなかで、そういう風に感動して生きた、という人間現実そのものについて、改めて感動する。それで、はじめて小説もかけるのである。
婦人の感受性はつよい。けれども、自分として感動した経験をそれだけで時とともに消させ鎮めさせてしまう。一重の個人的感動で終って、それを女としての感動、人間としての感動にまでひろげて二度目の感動を経験してゆく能力が弱い。婦人が、生活経験の多様さにかかわらず、それを人生的に収穫せず、文学的に再現しない理由だと思われる。
これは、日本のこれまでの社会が、すべての人の精神を、はっきり、社会人として目ざましていなかったせいである。今日青年たちの思いは千々《ちぢ》であるのに、芸術への表現がおくれているのもそのせいであるし、婦人の文学的発言がためらいがちなのも、そのせいである。
すべての婦人が、きびしい現実を生きとおして来た今、これまでの女流文学的空気は、美しさの魅力もないし、人間真実に訴える力ももっていない。今日から明日への文学は、人生の根幹へ手を入れて、それをつかみ出して見直すだけの、社会的理解力を必要として来ている。婦人の文学的創造の可能がたっぷりつよくなるためにも、必要なのはそのことであると思う。[#地付き]〔一九四七年二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
1952(昭和27)年5月発行
初出:「朝日新聞」
1947(昭和22)年2月3日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月27日作成
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