婦人の一票
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)[#地付き]〔一九四六年四月〕
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 四月十日を目の前にひかえて、私たち日本の婦人は、生れて初めて行う選挙というものに対して、平然としていられない気持になっている。婦人が政治に無関心ということは、二、三ヵ月前の事実であったかもしれない。しかし、今日ではもう違って来ている。四月一日以来各家庭からとり上げられた二百円は、金高の二百円であらわしきれない大きい不安を、あまねく日本の国民の胸に烙きつけたのである。全有権者は、この生々しい不安と手にわたされた選挙場への入場票を見くらべて、深い思いにうたれるのである。
 中年の家庭婦人は、政治に関心をもつひまさえ無い、といわれた。その暇さえ無いという今日の私たちの食生活の事情、嫁姑の問題などこそ、その婦人たちの一票によって解決の方向へ進まなければならない政治の課題である。
 婦人の困難は、まだまだ山積している。第一、選ぶべき政党の判断に迷っている。或る政党の婦人候補者は、どんなに正しい党でも、少数党では議会で発言権さえ与えられないのだから、多数党となりそうな党へ一票をやらなければ、貴重なあなたの一票は無駄になります、と機会ある毎に演説している。
 一応尤ものようだが、もし多数党であるということにだけ値うちがあるならば、戦時議会は、党というものさえ抹殺した満場一致議会であった。その議会は「議会内における多数」という一握りの少数者の力で日本をこの有様にした。七十万人近くを殺し八百三十余万人の戦災者を出し、未亡人と遺児たちを作った。
 私たちの人間らしいやりかたには、今はまだ小さくとも、納得出来る力を、自分たちのものとして守り立てて大きくして行くところにある。赤坊は、すぐものの役に立たない。資本家たちは手っとり早く役に立つ青年、婦人をしぼって来た。しかし母である女は、小さい希望を大きくもり立ててゆく愛と粘りづよさをもって、一人の子をも育てて来ているのである。私たち女が、目前の出来上っている力にだらしなく屈しては、ろくなことはない。事大主義にまけない、それが民主の第一歩であることを、私たちは心得ているのである。
 第二に、婦人は婦人へ、ということも眉つばものと思われる。主人が戦犯で資格がないので、細君が身代
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