三月には、「いでやあれしは敷島のうた斗《ばかり》か」という心持にまとまって行っている。「労するといへどもむくひを望まねば、前後せばまらず、左右ひろかるべし、いでさらば、分厘《ふんりん》のあらそひに此一身をつながるゝべからず。」「このあきなひのみせをとぢんとす。」
 一葉の文体はこの頃から少しずつ変化して来ている。定型をふんで来た和文脈の文章はその人のリズムのあらわれたものになりかかっているのも興味ふかい。
 一葉の「もとの心はしるやしらずや」樋口の三人は三様の心で、大音寺前の長屋から、本郷丸山福山町の、ささやかな池の上に建った家賃三円の家へ引きうつった。一葉は「花ごもり」を心理のかくれた土台石として、
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   おもひたつことあり、うたふらく
すきかへす人こそなけれ敷島の
      うたのあらす田《だ》あれにあれしを
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という心持から。邦子はもう零細な商いにあきた気持から。そして母の瀧子は、小さくとも門構えの家に住んでやわらかい着物でも重ねたいという願いから。引越しのあったのは二十七年五月一日のことであった。
 これよりいよいよ小説のことひろく成してんのこころ構えから、この人の手あらば一しほしかるべしと母娘の相談で、うちたえていた半井桃水の許をも訪ねた。
 中島歌子から、萩の舎号をゆずって死後のことを頼むべき人は門下の中にあなたしかないからという話があった。それも一葉としては「思ひまうけたる事」であり、もう先のように萩の舎の空気や師匠歌子のとかく噂ある生活ぶりへの潔癖をすてて、自分としても歌道のためにつくしたい心願だから、「此道にすゝむべき順序を得させ給はらばうれし」と月々報酬をもらって手伝いに通うことにきめた。「変化運用の妙」に立ち「一道を持て世にたゝんとする」生活の第一歩がこのようにして始められたのである。
 金銭上の不自由はやっぱりつきまといながらもこの時代から、一葉の生活は方針のたった日々の落着きが、日記をみてもまざまざとあらわれて来ている。桃水に対して経た感情の幾風波も、おさえれば却ってたぎるようなものだろう、悟道を共々にして兄の如く妹の如く、世人の見もしらざる潔白清浄なる行いして一生を送らばやという境地に達した。
 この年『文学界』に連載された「やみ夜」は、おそろしき涙の後の女心の、凄艷な恨にかたまったお蘭と
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