あった。とりたててどうというところもない青年だったのが、今は検事試験に及第して正八位、月俸五十円。二十円が百円以上のねうちのあったその頃は、金時計など胸にかけ、もう一度昔の話のよりを戻したげな親しみをみせた。小説出版の費用を出してよいとも云う。しかし一葉の心の中には、その男が憎いのでもないし、我慢の意地をはるというでもなくて、「今にして此人に靡きしたがはん事なさじ」と思う感情がある。母と妹への責任さえ果してしまえば、我を「養ふ人なければ路頭にも伏さん、千家一鉢の食にとつかん。世の中のあだなる富貴栄誉うれはしく捨てゝ小町の末我やりてみたく」と思う一筋のものが在る。
二十六年には、明治の日本文学の流れのなかに極めて生新な芸術的雰囲気をもたらした『文学界』のロマンティシズム運動がおこった。同人は星野天知、北村透谷、島崎藤村、平田禿木、戸川秋骨、馬場孤蝶、上田柳村などで、十九世紀イギリスのロマンティシズム文学、ドイツのロマン派の文学の影響をつたえたものであった。同じ『文学界』の同人たちの間でも、透谷のように主としてバイロンやシェリイにひかれて行ったひとと、藤村、禿木、柳村などのようにキーツ、ダンテ、ロセッティ、ウォールタ・ペイタアなどにより多く影響された人々など、資質的な相異はあったが、前時代の文学の影をひいて戯作気質のつきまとっている硯友社の境地にあきたらず、只管《ひたすら》純真な美への傾倒に立って励んで行こうとする若々しい一団であった。
一葉はこの『文学界』にたのまれて「雪の日」「琴の音」などをのせている。「琴の音」のテーマとなっている芸術至上の情熱は、一葉の芸術観の骨格というべきものであったが、同時にそれは、年齢も一葉と余りちがわない『文学界』の青年たちの情熱でもあった。
なかでも禿木は一番早く編輯事務のことから一葉のところへ出入りするようになったが、繊細な禿木の情調や人となりは、生活的にずっと深く刻まれている一葉にとって、たのもしい友として感じられるには到らなかったらしい。禿木によって、文学的には硯友社亜流の桃水などより、遙に新しく濁りない空気をもたらされたのであろうが、そのデリケートな脆弱さが、却ってそれとはなしの殺し文句をいうことも知っている桃水の成熟を偲ばせるせいか、一葉の思い出の上に深まる恋の苦しさは、この二十六年が絶頂の如くあった。「名に求めず隠れた
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