いう雑誌に、「ビラ撒き」という詩を発表し、『女人芸術』に「お目見得」という小説を書いたりしていた窪川稲子は、良人にはげまされて一少女工を主人公とした小説をかき、中野重治がそれに「キャラメル工場から」と題をつけて、『プロレタリア芸術』にのせた。それが、日本のプロレタリア文学運動の初期の作品の系列のなかで、独特なものとなった「キャラメル工場から」であった。
 貧しくて逆境におかれ、しかも伸びようとする願いを胸にあふらしている一人の若い女性として、窪川稲子は、自分が女であるということや、貧しいということや、様々の経験を経て来ているという来歴やらを、どう自分に感じていたのであったろうか。一九二九年、「キャラメル工場から」が出て好評を得た翌月に「自己紹介」というほんの短い小説がかかれた。その小説の背景は、府会選挙に、労農党が勤労者の中から代表を立て、その応援の活動に空腹を忘れ、過労と不眠とをひきずって、私という女主人公も「髪の毛からは絶えず滴が落ち、ちゞみの浴衣をきた肩はぐっしょり濡れ」ながら働いた。その運動も一段落をつげた投票日の朝の懇談会である。一座の男たちが、めいめいの労働経歴の自己紹介をやったあと、女主人公である私の番が来た。彼女は、今日まで経て来た自分の境遇の幾変化について自己紹介した。「下田の読む社会問題などの本をよみはじめましたが、子供の頃から貧乏な生活を続けている私にはそうしたことは、何の疑いもなくすっと入って行けたのであります。しかし、生れた家が小市民根性そのものである勤め人階級であり、その後の殆ど全部の生活も、茶屋奉公とか、女店員とか、カフェーの女とかでありましたので、現在もなお、その小市民根性を多分にもっているのであります。私は今それを、その根性の出るたびに克服すべく心がけております。」そして、この座で、一人の男が、そういう経歴の彼女に対して「その海千山千のみね子氏を」云々と云ったことについて、深く考えている。「海千山千という言葉は売笑婦的にきこえる。Eさんは本当にそうとったのであろうか。」「けれど私は一言云い足せばよかった。そんないろんな境遇の中に置かれたけれど、その間に一度の男女関係も、恋愛さえも下田以前に絶対になかったことを云い足せばよかった。」「もしも生活経験というものが男女関係に対する予想のもとに問題になるならば、私はその点では確かに生活経験が
前へ 次へ
全185ページ中118ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング