当っていた。その陽の光は幸福そうであった」「その暖かそうな色だけが見える」寒く暗い板の間に、「腹巻をして、父親のお古の股引を縮めてはいている」どれも体格のよくない娘たちが、甘い匂いをたてて粉にまびれたキャラメルを小さい紙につつんでいた。「白い上着をき、うつむきになって指先を一心に動かしながらお喋りをしていた。みんな仕事の調子をとるために、からだを機械的に劇しくゆすっていた。」ひろ子は、年の小さいほかの二人の娘と一緒に一組とされ「みんなからはなれた室の片隅」に一台もって、「手元がまだきまらない調子で小さな紙きれにキャラメルをのせていた。」キャラメル工場では、毎日、女工たちの仕事の成績表をはり出した。優勝者三人に、劣等者三人。小さいひろ子は、いつも劣等者の中にかき出された。又工場は、女工たちの帰るとき一人一人の袂、懐、弁当箱の中などをしらべた。やがて、日給制がやめられて、一罐として賃銀を数えるようになり、女工たちは今までの「日給額に追いすがるために車をまわすコマ鼠のようにもがいた。」
「三時になると彼女たちはお八つをたべた。それは彼女たちの僅な日給の中から出された。それはいつも一銭にきまっている焼芋に限られていた。」その焼芋をかいに「白い上着をきて、まくり上げた裸の腕を前だれの下に突こんで、ちゞかんで歩く彼女たちの姿は、どこか不具者のように見えた。」
大体、「女工たちはみな徒歩で通えるところに働き口を探す。」「しかしひろ子の父親はそんなことは考えなかった。その工場の名がいくらか世間へ知れていたのでそこへ気が向いたにすぎなかった。」小都市の勤人だった父親は、ひろ子を生んだ妻の死後、段々生活につまって「方針や計画は一つもなく」一家をまとめて上京した。「彼は酒をのみ、どなりちらして家族に当った。」父親の弟は病人でねていた。十二のひろ子が八時頃やっとかえって来て、七輪の上にかけられている雑炊鍋から夕飯をたべる頃、「しめ切った六畳の間でみんなが内職をしていた。」電燈の明りにその茶色の毛くずを舞い立てながら祖母が編ものの毛出し内職を、「隅の壁ぎわでは病人が床の上に腹這って」雑記帖の表紙になるバラの花や小鳥の絵を緑色の紙にかいていた。体を使う仕事に耐えないで失業している父親は、「ひろ子も一つこれをやってみるか」と何気なさそうな態度と言葉で、キャラメル工場の女工募集の広告のある新聞を
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