九年の初夏から翌年の秋まで、一区切りずつ『文芸』に連載した。
文献的にみれば不十分であろうし、文芸史としても、もとより完璧ではないけれども、近代日本の社会が辿って来た精神の幾山河と、そこに絡む婦人作家の運命について或る概観はつかむことが出来た。
中央公論社から出版されることになって、すっかり紙型も出来、装幀もきまったとき、一九四一年十二月八日が来た。アメリカとの戦争が開始された。九日には、数百人の人と同様、私も捕えられて拘禁生活にうつされた。中央公論社では、この突発事で出版を中止した。
平和がもどって来たとき、私は紙型になったまま忘られた「婦人と文学」をしきりに思い出した。丸の内の中央公論社は焼けなかった。紙型はのこっていやしないだろうか。度々きき合わせたが、どこにも其らしいものはなく、多分よそにあった倉庫で焼けてしまったろう、ということになった。
すると、或る日、思いがけず実業之日本の船木氏が、偶然よそから手に入れた「婦人と文学」のゲラをもって来られた。実におどろき、そしてうれしかった。赤インクでよごれて判読しにくいゲラを、すっかり原稿紙に写し直していただいて、又よみ直し、書き加え、中央公論社の諒解も得て出版されることとなった。
よみ直して、あの時分精一杯に表現したつもりの事実が、あいまいな、今日読んでは意味のわからないような言葉で書かれているのを発見し、云うに云えない心もちがした。日本のすべての作家が、どんなにひどい状態におかれていたかということが、沁々と痛感された。今日の読者に歴史的な文学運動の消長も理解されるように書き直し、最後の一章も加えた。
近い将来に、日本文学史は必ず新しい社会の歴史の観点から書き直されるであろう。この簡単にスケッチされた明治以後の文学の歴史は、そういう業績のあらわれたとき、補足されなければならない幾つもの部分をもっているにちがいない。けれども、一人の日本の婦人作家が、日本の野蛮な文化抑圧の時期、自分の最もかきたい小説はテーマの関係から作品化されなかった期間に、近代日本の文学と婦人作家とが、どう生きて来たかということを切実な思いをもって追究した仕事として、主観的な愛着のほかに、何かの意味をもっているだろうと思う。
一九四七年三月
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