ちにも、その反映を見出していることである。そして、漱石の美と云っているものの要素が、従来の所謂美学上の美を美の要素としているということは、醜と見られているものの要素も極めて常套であることが示されていて、そこに興味がある。
「この美を生命とする俳句的小説」と作者自身云っている作品は、「余」という超然派の一画工が主人公である。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」「二十世紀に睡眠が必要ならば二十世紀に出世間的詩味は大切である」そういう人生と芸術への態度をもっている一画工が、旅先で、一美人に邂逅して、之を観察するのだが、自然派の女の観かた描きかたに反撥し、美の女として示されているその志保田の嬢様の姿、気分、動きは、ヨーロッパ風に主我的でもあり、常識家の意表に出るという範囲では気分本位であり、所謂漂々としている。才気も縦横で、伝説の長良《ながら》の乙女のように二人の男に思われれば「淵川へ身を投げるなんてつまらないじゃありませんか」という女である。「あなたならどうしますか」「どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、男妾にするばかりですわ」「えらいな」「えらかあない、当り前ですわ」そういう会話がとり交されている室の外で、鶯が高く声を張ってつづけさまに囀る。那美さんというその女は「あれが本当の歌です」という。長良の乙女のあわれな歌は、本当の歌ではないという意味である。更にこの美人は、禅寺に出入りしていて、坊主に懸想されたとき、そんなに可愛いなら仏様の前で一緒に寝ようと、泰安さんの頸っ玉へかじりついたひとである。現実と自分との間に三尺のへだたりをおき、恋という人情からも「間三尺」へだてて美を味っている画家の所謂非人情を理解して、しかもその距離では、惜しげもなく自身の美に耽っている女である。
この那美という女の姿は、短篇「琴の空音」の中の女主人公にも似ており、「虞美人草」の藤尾とも血脈をひいている。周囲の俗眼から奇矯とみられることにひるまない女、思うままに云い、好むるままに行い、東洋と西欧との教養がとけあっている女。漱石が描こうとしたその種の女の美は、当時にあっていかにも知的であったろうし、ロマンティックであったにもちがいない。今日みれば、明治の四十年代という時代の知識人が、一般にはまだ低くくろずんで眠らされていた女の世界から、僅かに誘
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