学運動が或る時期にその総体の中に持っていた未熟さというものは、やはり客観的には目に映るものであるし、とりあげられるのが自然であろうと思います。
 嘗て別な分野で働いていた人々が文学的活動で示す多くの疑問を与える点を、「あんな男が運動の指導者であったのだから」と驚くことから掘下げてゆくべきであり、原因は単に昔の文化主義的なものの観方にあるのではないというあなたの意見について、私はこう思います。当時の歴史の若さ、全体として経験の未熟さこそが、貴方の云われる「あんな男」を、一応は指導者めいた位置にもおいたのであろうし、同時に、文学についての理解においても、その若さ未熟さから避け難い文化主義を生んだのであったろう、と。
 あんな男が云々というあなたの言葉は、空中を切る鞭のような響きを立てる云いかたかもしれないが、私は歴史というものに対してもっと嗜虐的でない感情を抱いております。私たち共通の未熟さというものについては、あなたもよく御承知のとおり、一人の女としても種々思い深めざるを得ない事情に生きているのですから。
 私は、あなたのこの文章を送られて読んで何だか非常に複雑な感情にうたれました。あな
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